ニッポンの笑いはガラパゴス?
そうした意味では、彼らがいちばん手こずったのは日本の笑いだったのかもしれません。「comedyやhumorという言葉を、正確に日本語に訳すこと自体が不可能」という一文には、冗談とかではなくムチャクチャ戦慄させられました。だとしたら、我々が今まで使っていたコメディーやユーモアという言葉は、いったい何なのでしょうか?そんな日本で、笑いの探検家を熱狂させた唯一の人物が、何とトリオコントのパンサー尾形でした。彼の繰り出す無邪気な下ネタだけが、アメリカ人を心から笑わせことができたようです。それを知っても、こちらは心から喜べず複雑な思いを抱いてしまいましたが……。次の機会があるとしたら、ぜひとも志村けんに会っていただきたいものです。
果たして理論は証明されたのか?
長い旅を終えた2人は、改めて自分達の理論「笑いとは無害な逸脱である」への自信を深めます。ただし、この長編ドキュメンタリーを読み終えた1人の日本人としては、多少の異議を唱えたいと思いました。確かに、大抵の笑いは逸脱していながら見る側にとっては無害です。ただし、その逆も有り得るのでなければ、理論としては成立しないでしょう。無害な逸脱が必ずしも笑えはしないのは、誰もが納得できる筈です。
この一冊を読んで何より驚かされたのは、笑いについて真剣に探求している本が、日本とは比べ物にならないくらい数多く、欧米では出版されているという事実です。そのほとんどは翻訳されてないようですが、本書がベストセラーになって同傾向の本が日本で続々出版されたら、笑いのガラパゴス化も解消されるんじゃないでしょうか。