昔の病気ではない「結核」
「結核」と言っても「昔の病気」のように感じられるかもしれませんが、いまでも身近な病気です。ハリセンボンの箕輪はるかさんや男性モデルのJOYさんが結核で入院したというニュースを記憶している方も多いでしょう。「昔の病気」と考えられているがゆえに診断が遅れてしまうということが増えています。抗生物質で治療可能ですが、発見が遅れると命にかかわることもあるので注意が必要です。
若くして「結核」で命を落とした偉人たちから、結核を考えていきましょう。
「子規」の名は結核を患ったため……正岡子規
「子規」はホトトギスから命名
俳句・短歌・新体詩・小説・評論・随筆など多方面に亘り創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼしました。俳諧の新たな史的考察によって俳句革新を志し、次いで「歌よみに与ふる書」を発表、短歌革新にのり出し、高浜虚子らの「ホトトギス」刊行を支援しています。
晩年は結核が脊椎骨に感染し脊椎カリエスを発症、化膿して骨組織が壊れてしまっていたため歩行困難となりました。およそ7年間の闘病生活の末、34歳で死去。
栄養失調が結核を進行?……樋口一葉
赤貧の生活が病状を悪化
「赤貧洗うがごとし」であったにもかかわらず気位が高く、困った人には姉御肌であったとされています。そのため、借金生活を余儀なくさせられていたようです。生活苦による栄養失調が結核を進行させたと考えられています。24歳で死去。
キツツキのように痩せていた!?……石川啄木
キツツキのように痩せていた!?
「啄木」とは「キツツキ」のこと。上京後、栄養失調となり帰省。療養中にキツツキが樹を叩く音を聞いて勇気づけられ、キツツキを意味する「啄木」と雅号。キツツキのように痩せていたことに対する自虐の命名ともいわれています。
啄木はあまりに自分勝手で破天荒な生活を送っており、借金を踏み倒す名人でもあったという一面もあったようです。啄木だけでなく、周囲の母や妻も結核で亡くなっています。26歳で死去。
早すぎた天才作曲家の死……滝廉太郎
短命でしたが多くの名曲を作曲
しかし、半年もしない間に結核を発病したため帰国。23歳という若さでそのまま帰らぬ人となりました。代表作に「荒城の月」「箱根八里」「お正月」「雪やこんこん」「鳩ぽっぽ」、ほかに歌曲「四季」などがあります。
反動での粗食が病状を悪化……宮沢賢治
反動での質素な生活が病状を悪化
賢治の生家は裕福な質屋であり、"周囲の貧しい人たちから絞りとった利益によって恵まれた生活をしてきたのではないか"という思いに苦しめられていたようです。反動での質素な生活や過労がもとで結核が進行。37歳で死去。
結核の悪化でやむなく戦線を離脱……高杉晋作
結核が悪化したため戦線離脱を余儀なくされる
長州征伐に来た幕府の軍隊を負かした後、藩の海軍総督に就任するも、激職のオーバーワークにより持病の結核が悪化。喀血がしばしばおこり、体調不良でやむなく戦線を離脱せざるをえなくなりました。療養生活に入るものの病状は改善せず、27歳で死去。
その他の結核を患っていた偉人としては、沖田総司や竹久夢二、堀辰雄、新美南吉などがいます。
「2週間以上続く咳」には検査・診察を
結核は、医療が発達し生活水準も高い先進国では患者数の少ない病気です。日本は、韓国や中国などのアジア諸国に比べると低いものの、アメリカやドイツなどの先進国と比較すると、結核にかかる人の比率(罹患率)は4倍ちかくもあります。日本は人口10万人当たりの患者数が16.1人(平成25年)と高く、いまだに“中蔓延国”に分類されています。他の先進国のように、人口10万人当たりの患者数が10人以下の“低蔓延国”になるには10年以上かかるとされています。
「まさか結核とは……」、多くの患者さんが口にする言葉です。現在でも結核にかかる患者さんは決して少なくはありません。「2週間以上長引く咳や痰」「長引く微熱」「長引く倦怠感」のような症状が続いた場合は、近くの医療機関に相談してみるといいでしょう。