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長引く咳は要注意! 偉人から学ぶ結核

時代劇などでよくある、「ゴホッ」と咳と同時に血を吐いて病に付す場面。 あの咳の多くは「肺結核」によるもの。当時は多くの人々がこの病気で命を落とし、死の病として恐れられていました。結核患者数は減少したものの、世界的に見ればいまだに日本は結核患者数が多い“中蔓延国”です。決して「昔の病気」ではありません!

今村 甲彦

執筆者:今村 甲彦

医師 / 胃腸科・内科の病気ガイド

昔の病気ではない「結核」

「結核」と言っても「昔の病気」のように感じられるかもしれませんが、いまでも身近な病気です。ハリセンボンの箕輪はるかさんや男性モデルのJOYさんが結核で入院したというニュースを記憶している方も多いでしょう。

「昔の病気」と考えられているがゆえに診断が遅れてしまうということが増えています。抗生物質で治療可能ですが、発見が遅れると命にかかわることもあるので注意が必要です。

若くして「結核」で命を落とした偉人たちから、結核を考えていきましょう。

「子規」の名は結核を患ったため……正岡子規

正岡子規

「子規」はホトトギスから命名

結核を患ったために正岡「升(のぼる)」から「子規」と号したとされています。「子規」とは「ホトトギス」のこと。この鳥は「のどから血が出るまで鳴き続ける」といわれることから、「血を吐きながら歌を詠み続ける」自分自身をなぞらえたようです。

俳句・短歌・新体詩・小説・評論・随筆など多方面に亘り創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼしました。俳諧の新たな史的考察によって俳句革新を志し、次いで「歌よみに与ふる書」を発表、短歌革新にのり出し、高浜虚子らの「ホトトギス」刊行を支援しています。

晩年は結核が脊椎骨に感染し脊椎カリエスを発症、化膿して骨組織が壊れてしまっていたため歩行困難となりました。およそ7年間の闘病生活の末、34歳で死去。

栄養失調が結核を進行?……樋口一葉

樋口一葉

赤貧の生活が病状を悪化

中島歌子に歌、古典を学び、半井桃水に小説を学びました。父親の事業の失敗により十七歳で家庭を支えなければならなくなり、小説を書いて糊口をしのぐ生活でした。貧乏に苦しみながら、「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」といった秀作を発表し、文壇から絶賛。わずか1年半でこれらの作品を世に送り出しました。

「赤貧洗うがごとし」であったにもかかわらず気位が高く、困った人には姉御肌であったとされています。そのため、借金生活を余儀なくさせられていたようです。生活苦による栄養失調が結核を進行させたと考えられています。24歳で死去。

キツツキのように痩せていた!?……石川啄木

石川啄木

キツツキのように痩せていた!?

若くして「明星」に詩を発表し、与謝野鉄幹に師事。口語体3行書きの形式で生活を短歌に詠んでいます。“かなしみ”を歌わせると天才的で多くの若者の心をとらえました。代表作に、評論「時代閉塞の現状」、歌集「一握の砂」「悲しき玩具」、小説「雲は天才である」などがあります。

「啄木」とは「キツツキ」のこと。上京後、栄養失調となり帰省。療養中にキツツキが樹を叩く音を聞いて勇気づけられ、キツツキを意味する「啄木」と雅号。キツツキのように痩せていたことに対する自虐の命名ともいわれています。

啄木はあまりに自分勝手で破天荒な生活を送っており、借金を踏み倒す名人でもあったという一面もあったようです。啄木だけでなく、周囲の母や妻も結核で亡くなっています。26歳で死去。

早すぎた天才作曲家の死……滝廉太郎

滝廉太郎

短命でしたが多くの名曲を作曲

日本の音楽家、作曲家。明治の西洋音楽黎明期における代表的な音楽家の一人。今の東京芸術大学音楽部で、極めて優秀な成績を修めたため、卒業と同時に母校に教員に採用され、ドイツへの留学を命ぜられました。

しかし、半年もしない間に結核を発病したため帰国。23歳という若さでそのまま帰らぬ人となりました。代表作に「荒城の月」「箱根八里」「お正月」「雪やこんこん」「鳩ぽっぽ」、ほかに歌曲「四季」などがあります。

反動での粗食が病状を悪化……宮沢賢治

宮沢賢治

反動での質素な生活が病状を悪化

詩人・童話作家。花巻で農業指導者として活躍のかたわら創作。自然と農民生活で育まれた独特の宇宙的感覚や宗教的心情にみちた詩と童話を残しました。代表作に、童話「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」「注文の多い料理店」、詩集「春と修羅」があります。

賢治の生家は裕福な質屋であり、"周囲の貧しい人たちから絞りとった利益によって恵まれた生活をしてきたのではないか"という思いに苦しめられていたようです。反動での質素な生活や過労がもとで結核が進行。37歳で死去。

結核の悪化でやむなく戦線を離脱……高杉晋作

高杉晋作

結核が悪化したため戦線離脱を余儀なくされる

江戸時代後期の長州藩の志士。幕末期に尊攘・倒幕運動の中心人物として活躍しました。奇兵隊を組織したことで知られています。

長州征伐に来た幕府の軍隊を負かした後、藩の海軍総督に就任するも、激職のオーバーワークにより持病の結核が悪化。喀血がしばしばおこり、体調不良でやむなく戦線を離脱せざるをえなくなりました。療養生活に入るものの病状は改善せず、27歳で死去。


その他の結核を患っていた偉人としては、沖田総司や竹久夢二、堀辰雄、新美南吉などがいます。

「2週間以上続く咳」には検査・診察を

結核は、医療が発達し生活水準も高い先進国では患者数の少ない病気です。日本は、韓国や中国などのアジア諸国に比べると低いものの、アメリカやドイツなどの先進国と比較すると、結核にかかる人の比率(罹患率)は4倍ちかくもあります。

日本は人口10万人当たりの患者数が16.1人(平成25年)と高く、いまだに“中蔓延国”に分類されています。他の先進国のように、人口10万人当たりの患者数が10人以下の“低蔓延国”になるには10年以上かかるとされています。

「まさか結核とは……」、多くの患者さんが口にする言葉です。現在でも結核にかかる患者さんは決して少なくはありません。「2週間以上長引く咳や痰」「長引く微熱」「長引く倦怠感」のような症状が続いた場合は、近くの医療機関に相談してみるといいでしょう。

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