OASISの原点:The Boardwalk(ザ・ボードウォーク)
約3時間のツアーは、専用車を使い、オアシスにゆかりの深い場所を巡ります。場所ごとで下車し、その場所のエピソードをクレイグさんが話してくれます。このツアーでカヴァーされるオアシス名所は15カ所。その中からいくつか紹介します。The Boardwalk(ザ・ボードウォーク)の記念プレート
The Boardwalk(ザ・ボードウォーク)は初期OASISがバンドの練習をしていた場所。そしてバンドの初ライブ(91年8月18日)、ノエル加入後の初ライブ(92年1月14日)が開催された場所です。実は、この辺のエリアは、マッドチェスター・ムーブメントの中心地でもあります。The Boardwalk(ザ・ボードウォーク)のすぐ近くには、マンチェスター音楽シーンの伝説的人物、トニー・ウィルソンが当時住んでいたアパートが。インディーズ・レコードレーベルのファクトリー・レコード社長で、伝説のクラブ「ハシエンダ」の創設者でもある彼は、2002年公開のマッドチェスター・ムーブメントを描いた映画「24アワー・パーティー・ピープル」の中心モデルにもなった人物です。
写真は、80年代後半、ノエル・ギャラガーが観客として通っていた頃のThe Boardwalk(ザ・ボードウォーク)のライブチラシです。当時人気を誇った“ハッピー・マンデーズ”と“インスパイラル・カーペッツ”出演のライブはたった£ 2.00。ちなみに、2013年に行われた“ハッピー・マンデーズ”のライブチケットの価格は£45.00だったとか。
ノエル・ギャラガーの業界初任給は、1日£3.00+カップヌードルだった!?
ノエル加入後、新生OASISの初ライブ録音デモテープのデザイン
「80年代後半、ガス供給会社で働いていたノエルが、ある日『ハシエンダ』に俺たちのライブを見に来てくれたんだ。その時、“ファンだ”って声をかけてくれたのが、友達付き合いの始まりさ。 しばらくして、“インスパイラル・カーペッツ”のヴォーカルが脱退して、急遽ヴォーカルを探さなくいけなくなったんだけど、ノエルが興味があるって言うんで、1988年12月21日にオーディションしたんだ。遅刻してきたよ(笑) それに、簡単な課題曲の歌詞も間違いまくり。しまいには、俺たちの曲に文句を付け出した”だれの曲だ?ゴミみたいな曲だな!オレの曲の方がずっとましだよ!”ってね(笑) まあ、ノエルは口は悪いけど、なぜだか憎めないキャラで誰からも好かれてたけどね」。
こんな調子で話はまだまだ続きます。
「ノエルは、口の悪さが理由ではなく、実力的な問題でヴォーカルのオーディションには受からなかった。だけど、結果を伝える前に、マンチェスター中の音楽仲間に、“オレが新しいンスパイラル・カーペッツのヴォーカルだ”って言いふらしていたのには驚いたな。だから、代わりと言ってはなんだけど、ローディーの仕事をオファーしたんだ。すぐさま“いくらくれるんだ?”って聞いてきたよ。報酬は1日£ 3.00とカップヌードルだ。それでも、喜んで引き受けたよ。音楽業界に入れるのが嬉しかったんだね。カップ麺をポリポリかじりながら仕事してたよ。でも、俺たちのバンドの世界ツアーを一緒に回ったり、事務所でグッズの販売の事務をしたり、ローディーの仕事を通じて、この業界の知識は随分得られたんじゃないのかな。医者からもらったニセの診断書をガス会社に提出して休んで、ツアーに同行してくれたよ(笑)」