文学的評価は他所にお任せして

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1年の半分も終わっていないこの時期に言ってしまうのは時期尚早かもしれませんが、又吉直樹の『火花』は、出版業界を代表するニュースの一つとなる可能性が高いでしょう。

1月に文芸誌「文学界」への掲載以来、様々な話題が世間を沸かせてきました。すでに数多く書評や感想も新聞、雑誌、WEBで目にします。さまざまな意見が上がっており、どれも興味深く読ませていただきました。ただ、文章の美しさや青春小説としての輝きを評価するものが多い反面、作品全体を包み込んでいる「笑い」への言及がほとんど見当たらないことに驚きました。

これまでの日本文学が「笑い」を重要テーマとして扱ってこなかったからでしょうが、『火花』という小説を味わうためには、どうしたってここに深く踏み込む必要があるかと。てなわけで、文学関係はからっきしの当ガイドが、「笑い」の部分に軸足を置いて、小説世界に踏み込んでみたいと思います。


笑いを極めることとは

発端は花火大会の夜。売れない若手漫才師の片割れ・徳永が、異彩を放つコンビ「あほんだら」の神谷と出会うところから、物語は始まります。どん欲なまでに笑いを極めようとする神谷を、徳永は師匠として尊敬するものの、2人が求めているものに隔たりがあることが、徐々に明らかになっていきます。

ここでぜひ留意していただきたいのが、この小説の中で言及されている「笑い」とは、芸人の世界におけるスキルであり、一般ピープルが日常生活の中でやり取りしているものとは、種類もレベルも違うということ。しかもその笑いをストイックに突き詰めようとする、神谷のような芸人は、全体の一握りです。

実際に笑いをとことんまで突き詰め、それによって世間を振り向かせることができたのは、当ガイドの知るところでは、ビートたけしとダウンタウンの松本人志、あと落語の世界で桂枝雀でしょうか。ただし、いま日の目を見ていない芸人の中には、幸か不幸か自らの才能を信じたばかりに、笑いの荒野を新たに切り開こうと野望に燃えた冒険者も存在しました。

現に、『火花』の神谷と同じように笑いの荒野を突っ走ってしまい、破滅寸前のところまで自らを追い込んだものの、そこから見事に生還し、今では人気タレントとして大活躍している芸人もいるのですが……。