『クレイジー・フォー・ユー』観劇レポート
キャスト全員の丁寧な人間描写と鮮やかなダンスが導く
至福のハッピーエンド
『クレイジー・フォー・ユー』撮影:荒井健
81年初演の『キャッツ』以降、『レ・ミゼラブル』『オペラ座の怪人』と英国産に席巻されていたミュージカルの潮流を、再びブロードウェイに戻した92年初演の本作。“ブロードウェイ”“西部劇”“ラブコメ”“ガーシュイン音楽”“アステア・スタイル”と、古き良きアメリカ文化が凝縮されているだけでなく、スーザン・ストローマンによる革新的な振付、現代的なウィットもきかせた台詞で、“新作”としても高い評価を獲得しています。そんな本作の魅力が改めて浮き彫りになっているのが、現在上演中の東京公演。筆者は取材で劇団を訪れた際、本作の稽古が連日長時間、かなりハードに行われていることを聞いていましたが、それが見事に、すみずみまで神経が行き届き、輪郭の明確な舞台に結実しています。
『クレイジー・フォー・ユー』撮影:荒井健
例えば本作の見どころの一つに、デッドロックでのショーの稽古中に展開するビッグナンバー“Slap That Bass”があります。その中でも紐の先を踏み、ぴんと張った端を持つ踊り子たちをベースに見立て、男たちが傾けるくだりは照明との連動も巧みで美しく、間違いなくミュージカル史に残る名場面ですが、よく考えればこの発想、女性をモノに見立てており、フェミニスト団体からクレームがつく可能性が無きにしもあらず。しかしそんな声がまるで聞かれないのは、ひとえに舞台上の踊り子たちの造型と周囲との関係性が、一貫して“モノ”とは無縁であるためでしょう。冒頭、ボビーを取り巻いて登場するシーンから、踊り子たちがボビーに対して媚びを売るような瞬間は皆無。そこに浮かび上がるのは、“30年代の健康的で愛らしい踊り子”たちが“劇場を愛する同志”としてボビーを応援するという、爽やかな構図なのです。
『クレイジー・フォー・ユー』撮影:荒井健
彼女たちとボビーの関係のみならず、ボビーと彼が一目ぼれする女性ポリー、口うるさいボビーの母と気の強いボビーのフィアンセ・アイリーン、アイリーンと粗野な宿屋の亭主ランク、興行主ザングラーと踊り子テスといった、劇中に置かれる多数の対立軸も、俳優たちは丁寧に描写。それによって、彼らが一つの“幸福なコミュニティ”に集約されてゆくラストのカタルシスは、いっそう大きなものとなっています。
『クレイジー・フォー・ユー』撮影:荒井健
しかし今回の公演で何より特筆すべきは、やはりボビー役・松島勇気さん(田邊真也さん、荒川務さんとのトリプルキャスト)のダンスでしょう。もともと“フレッド・アステア的主人公”として造形されたこの役は、これまでタップやジャズダンスの名手である加藤敬二さん、荒川務さん、田邊真也さんによって魅力的に演じられてきましたが、クラシック・バレエ出身の松島さんはそのバックグラウンドを活かし、ストローマンの振付に織り込まれたバレエの要素を余すところなく引き出しています。
『クレイジー・フォー・ユー』撮影:荒井健
最初の見せ場は1幕序盤、“ダンスおたく”のボビーが妄想の中で踊り子たちと踊る“I can’t be bothered now”。踊り子たちをリフトしたり、彼女たちと一列になって息の合った足技を見せたりと息つく間もなく展開してゆくナンバーの間、松島ボビーは一つ一つの動きを端正に決めつつ、決めポーズの度にふわりとした余韻を残し、この上なく幸福な“別世界モード”のボビーを表現しています。その後の“Slap That Bass”や”I Got Rhythm”といった大人数のナンバーでも、自身の見せ場の後にすぐ集団の中に埋もれるのでなく、細やかな芝居を続けながら次のポジションへと移行してゆく様に流麗な美しさがあり、片時も目が離せません。演出スーパーバイザーを勤めた加藤敬二さんのアドバイスも多々あったことと思われますが、11年の公演以来2度目の挑戦にして、松島さんはボビー役をすっかり自分のものにした模様。日本版『クレイジー・フォー・ユー』の歴史に新たな1ページが加わったと言ってよいでしょう。
『クレイジー・フォー・ユー』撮影:荒井健
もちろん“西部の豪快な女の子”に見えて随所に揺れる女心を覗かせ、歌声にも情感が溢れるポリー役の岡村美南さん(宮田愛さんとのダブルキャスト)、「母さんの舞台姿を一目見せてあげたかったよ」が口癖のポリーの父役を“いい人”オーラたっぷりに演じる松村武史さん(菊池正さんとのダブルキャスト)をはじめ、他のキャストも適役揃い。骨格の確かな芝居が、随所に差し挟まれたダイナミックなダンスナンバーと名曲に彩られ、至福のハッピーエンドへと到達する今回の『クレイジー・フォー・ユー』、デート・ミュージカルとしてはもちろん、ミュージカルのあるべき姿を示す舞台として、強力にお勧めできる仕上がりです。