ソフトボール誕生の歴史と背景
ソフトボールの歴史と起源、日本における始まりを知ろう
ソフトボールの前身「インドアベースボール」
ソフトボールの前身のいくつかのゲームのうち、今日知られている最も古いものが「インドアベースボール」です。インドアベースボールは、1887年にアメリカ合衆国シカゴのファラガット・ボートクラブのジョージハンコック氏(G.Hancock)が、クラブの体育館でクラブ員たちがボクシングのグラブをボールに、ほうきをバットにして、野球のまねごとに興じていたのを見て、クラブ員の冬の運動のためにルールを考案したとされています。ソフトボールの起源
「ソフトボール」という名称は1926年にアメリカで考案されました。考案したのはコロラド州デンバーのYMCA主事であったウォールター・ハケンソン氏(W.Hakanson)です。1933年には「アマチュア・ソフトボール協会」が設立され、初代会長にシカゴのジャーナリストであったフィッシャー氏(L.H.Fisher)が就任しました。アマチュア・ソフトボール協会は、従来からこの種の競技の普及に携わっていたYMCA、全米大学競技協会、アメリカ体育協会からなる「ソフトボール合同委員会」を組織し、ルールの標準化を実施。1934年には標準ルールが制定されました。
ソフトボール誕生以前の類似ゲーム
このように、ソフトボールの正式な誕生は1934年からということになりますが、この種の競技は、インドアベースボール、キットンボール、プレイグラウンドボール、レクリエーションベースボール、ソフトベースボール、レディースボール、など色々な名称とルールのもとにアメリカ合衆国各地で行われており、これらの競技は投手がアンダーハンドで投球するという共通の様式をもっていました。これらのゲームの存在を考えれば、ソフトボールは万人向きの野球として19世紀末には誕生していたと言えるかもしれません。また、バッターが打ちやすいようにピッチャーがアンダーハンドで投げるという様式は、1895年以来の約40年間、野球がとっていた方法でもあります。その点から、ソフトボールは野球の原型をそのまま保存している競技であるとも言えるでしょう。
「キットンボール」と呼ばれていたスポーツは、ミネソタ州ミネアポリスの消防局員であった、ルイス・ローバー氏(L.Rober)が、消防局員の余暇のスポーツとして考案しました。「キットン(kitten)」とは、「おてんば娘」の意味であり、女性でもできるボールゲームという意味でした。その後、ミネアポリスと隣接するセントポールの両市ではこのゲームが盛んになり、協会が設立されたとされています。
全米レクリエーション協会の前身である、アメリカ・プレイグラウンド協会は1906年に設立されていますが、この協会は当初からこのタイプのゲームを「プレイグラウンドボール」と呼び、屋外でのレクリエーションとして推奨。そして、1907年にはシカゴ南部公園のプレイグラウンドでプレイグラウンドボールの試合が行われました。
日本におけるソフトボールの歴史
ソフトボール成立以前の大正時代中期頃に、インドアベースボールが日本に紹介されましたが、日本におけるソフトボールの誕生に最も大きな影響を及ぼしたのは、当時東京高等師範学校の教授であった大谷武一氏が1921年に留学先のアメリカから持ち帰ったものです。1926年の学校体操教授要目改正の際に、プレイグラウンドボールは遊戯として採用され、小・中学校に導入されました。当時、インドアベースボールやプレイグラウンドボールが校内大会の種目として行われていた記録が残されています。
日本におけるソフトボールの発展
日本のソフトボールは女子から始まった
1949年に「日本ソフトボール協会」として独立し、日本体育協会に加盟しました。そしてこの年(1949年)に、「第1回全日本高校女子ソフトボール選手権大会」と「第1回全日本一般女子ソフトボール選手権大会が開催されました。翌年の1950年には、国民体育大会の正式種目とされましたが、この当時も女子のみの競技として行われています。
男子のソフトボール競技は、1955年に全日本一般男子選手権が開かれ、国民体育大会では、1957年より一般男子の部が採用されました。
このように変遷をたどって行くと、日本におけるソフトボールは女子がリードしてきたことがわかります。
(参考文献:日本体育協会監修「最新スポーツ大事典」大修館)
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