中枢部門と現場との情報格差が意識されない
広報部門のメンバーは、他の管理部門も同様ですが、一般的に経営の中枢部門であるはずです。そこでは、毎日のように高度な情報がやり取りされ、また、経営層と日常的に接する部門でもあります。最新の情報シャワーを常に浴び続けている人たちです。一方、現場の社員は目の前の仕事に忙殺され、その仕事を対応するのに必要な情報にしか触れていな場合もあります。
現場と中枢部門との情報格差が存在する
この場合、広報部門のメンバーの目線で作成した社内報が、果たして現場の社員に理解できるでしょうか。確かに日本語が読めれば、なんとなくは理解できるでしょうが、経営用語や専門用語を駆使されては、その理解もおぼつかないことになるでしょう。
いわんや、共感されることはほとんど不可能ではないでしょうか? そもそも問題意識が異なり、見ている世界が違えば、自分事として捉えることはないでしょう。関係性が認知できない限り、当事者意識を持って共感することはあり得ません。結果、コミュニケーションを取ろうとする者の意図に適った行動を、コミュニケーションの相手側がとることはないでしょう。
他部門から広報部門に異動して、社内報担当として編集する場合、当初は、今まで所属した部門の人間目線で編集されます。「現場にいたころ、社内報は面白くなく、全然読まなかった。だから、自分はなんとか現場目線で企画立案し編集して、現場に読まれるものにしたい!」、このような意気込みで始めるのですが。しばらくすると、広報部門の目線になってしまい、現場目線から外れてしまっていく、このようなケースが実際のところでしょう。
このように、相手との相違を意識して、相手の目線でコミュニケーションをするということは、相当意識的に行う必要があるのです。
相手を知ることからコミュニケーションは始まる
コミュニケーションにおいては、コミュニケーションの受け手に主導権があります。どんなに相手のことを考えてコミュニケーションをしたとしても、相手が「分からない」と言ってしまえば、コミュニケーションは成立しません。ですから、コミュニケーションを取ろうとする場合、相手の状況を良く把握することが前提となります。相手の関心事や問題意識、情報量などを把握して、それを前提にコミュニケーションをするのです。ドラッカーの言うところの、自分と相手との相違を知ることがコミュニケーションを成立させることに繋がるのです。
コミュニケーションは相手により成立する。であるなら、相手が理解できるようなコミュニケーションにする。であるなら、相手に合わせたコミュニケーションにする。よって、相手に合わせるのであれば、相手のことをより深く知ることが必要となる。ということになるのです。
「コミュニケーションは知覚である」。常に意識しておきたい言葉です。