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新日本のエースに君臨する棚橋弘至

闘魂でもストロングスタイルでもない新風景

オカダ・カズチカとの30分57秒の熱闘を制してIWGPヘビー級王座を防衛し、36000人(満員)の大観衆のリクエストに応じてエアギターを披露。そして最後に「東京ドームの皆さん、愛してまーす!」と叫んだ棚橋弘至。

プロレス界の正月恒例のビッグマッチ、新日本プロレスの1・4東京ドーム大会はハッピーな空気に包まれてエンディングを迎えました。

そう、これが今のプロレスの風景です。かつて新日本は「プロレスこそ世界最強の格闘技である」とキング・オブ・スポーツを掲げ、アントニオ猪木の闘魂、実力本位のストロングスタイルを打ち出して黄金時代を創りました。しかし、棚橋は昭和・新日本の猪木色、ストロングスタイルに縛られることなく、若いファンに受け入れられる方向性を模索して新たな黄金時代への礎を築いたのです。

棚橋が新日本に入門したのは、橋本真也が柔道から格闘家に転身した小川直也に事実上のKO負けを喫して新日本最強神話が崩壊した99年春でした。当時、新日本はオーナーの猪木の号令のもと、格闘技路線にシフトしてプロレスの価値観が揺らいでいた時代です。プロレスから総合格闘技に流れたファンもいれば、格闘技寄りの新日本に見切りをつけて他団体に走るファンもいました。そんな暗黒時代の新日本でプロレスラーの棚橋弘至は誕生しました。

新日本の転機となったのは05年11月に猪木が保有していた株式51・5%をゲームソフトの開発・販売を手掛ける株式会社ユークスに売却して同社の子会社になったことでした。翌06年の契約更改には新体制に疑問を持つベテランの選手や社員が離脱しましたが、それは一方ではリング上を含めた会社の新陳代謝、世代交代につながりました。そうした中で新体制が未来のエースとして抜擢したのが棚橋でした。ゲームソフトを手掛けるユークスにとって「若者が憧れるカッコイイ選手」がエースの絶対条件だったのです。


暗黒時代を知っているからこそファンを大切に

同年7月にIWGP王者となり”太陽の天才児”と呼ばれた明るさで暗かった新日本を照らした棚橋。新日本の未来は棚橋、そして”神の子”と呼ばれた中邑真輔の2人に託されました。総合格闘技でもプロレスでも通用する選手として育成された中邑に対して、純プロレスを邁進した棚橋は自己陶酔するナルシストという猪木の闘魂とはまったく違うキャラクターを生み出しました。それは「チャラい!」とも見られて、今でこそ大歓声を浴びる「愛してまーす!」もブーイングを浴びたものです。棚橋は当時のことを「俺のプロレスに対する覚悟さえ伝われば、このブーイングもいつかは歓声に変わるんじゃないかと祈りながら必死に戦っていました」と述懐しています。

しかし次第にファンはチャラいキャラの裏側にある、どんなにキツイ試合をやっても明るさと元気さを失わない棚橋の「疲れを見せない」「諦めない」「落ち込まない」という心の強さ、覚悟に惹かれるようになります。そして09年1・4東京ドームで全日本プロレス(当時)の武藤敬司の手に渡っていたIWGP王座を奪回して思わず涙した時に新日本ファンは棚橋を真のエースとして認めました。

新日本は棚橋時代を迎えて幅広い年齢層の観客が楽しめるスポーツ・エンターテインメントになっていきました。12年1月にユークスから新日本の株式100%を取得したトレーディング・カードゲームの開発・販売を手掛ける株式会社ブシロードが新たな親会社になったことで改革はさらに進んでいます。同社はプロレスのゲームを開発し、自社のテレビCMに新日本の選手を起用、さらにJRや東京メトロなどで大々的な広告戦略を展開して世間に向けて新日本ブームを演出。動画サービスも強化して海外に発信したり、過去のアーカイブを今のファンにも昔のファンにも楽しんでもらえる環境を整えるなど、ファンの底辺拡大に様々な仕掛けをしています。

そして、その頂点に立っているのが棚橋です。今やどこの会場でも満員になる新日本ですが、棚橋はファンをとても大切にしています。試合後に花道を下がる時にはファンから差し出されたタオルで汗をぬぐい、女性ファンとハグをし、子供のファンを抱っこして、疲れを見せずに笑顔でコミュニケーションを取っているのです。いつもシーンとした寂しい会場で戦っていた暗黒時代の経験があるだけに、ファンのありがたさを知っているのです。新日本の会場に足を運べば、愛を叫ぶ棚橋に会うことができます。


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