最初のマスクの素材は女性下着!
■前回の記事はこちら覆面レスラー物語1:元祖はなんと慶応元年デビュー
白覆面の魔王ザ・デストロイヤー
覆面レスラーになるつもりはなかったのですが、62年春、素顔のレスラーとしてハワイで活躍していたデストロイヤーはロサンゼルスのプロモーターにスカウトされたことで運命が変わります。何とロスのプロモーターは本人に相談することなくアスレチック・コミッションにマスクマンのデストロイヤーとしてのライセンス申請をしていたのです。そのデビュー戦に用意されていたマスクはウール製で、目の部分にふたつ穴が開いているだけ。視界が悪く、呼吸も出来ない粗悪なものでした。
その翌日、困ったデストロイヤーはレスラー仲間のオックス・アンダーソンが持っていたマスクを借りて試合しましたが、これは顔にフィットして快適だったといいます。オフの日に早速、夫人と一緒にデパートの女性下着売り場へ。いくつものガードルを顔に当てて試着し、遂にたどり着いたのがスモール&トールサイズのガードルでした。晩年のデストロイヤーのマスクはデサント製でしたが、75年頃までは夫人お手製のマスクを被っていたのです。
夫人お手製のマスクを被ったデストロイヤーは足4の字固めを武器に快進撃を続け、ロス入りから3カ月後の62年7月27日にサンディエゴでフレッド・ブラッシーを撃破してWWA世界ヘビー級王座を奪取しました。覆面レスラーが世界王者になったのは、その半年前の1月9日にバーン・ガニアを下してAWA世界ヘビー級王者になったミスターM(正体はビル・ミラー)に次ぐ快挙でした。デストロイヤーのファイトマネーはマスクを被ったことで素顔時代の2倍になりましたが、さらに世界王者になったことで3倍になったのですから結果的に変身は大成功でした。
世界王者となったデストロイヤーは翌63年5月に初来日しました。ミステリアスな白覆面、日本初上陸の拷問技・足4の字固めはたちまち日本国中の注目の的になり、5月24日の東京体育館でデストロイヤーのWWA世界王座に力道山が挑戦した一戦は1万2千人の大観衆を動員、日本テレビでの生中継の関東地区の視聴率は何と64%(ビデオリサーチ調べ)になりました。これは日本テレビの史上最高視聴率で、未だに破られていない記録です。