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覆面レスラー物語2:親日家デストロイヤーの素顔(2ページ目)

前回、日本プロレス界で最初に話題になった覆面レスラーは、月光仮面ブームに乗ったミスター・アトミックだったことを紹介しましたが、一番人気があったのは白覆面の魔王と呼ばれたザ・デストロイヤーでした。コメディアンとしても人気が爆発するなど、日本を愛し、日本愛されたデストロイヤーの素顔に迫ります。

小佐野 景浩

執筆者:小佐野 景浩

プロレスガイド

悪役レスラーからバラエティ外国人タレントの元祖に!

日本で誰も知らない人がいないほど有名になったデストロイヤーは63年12月に力道山が急逝した後も日本プロレスに何度もやってきて、力道山の愛弟子のジャイアント馬場のライバルになりました。いつしか馬場との間には友情が生まれ、日本プロレスを退団して72年10月に全日本プロレスを設立した馬場の誘いで同年12月に全日本にやってきたデストロイヤーは「もし馬場とのシングル戦で敗れたら、私はもう馬場の敵ではない。その時は味方として協力を惜しまない」と宣言。馬場の軍門に下ると、まだ選手層が薄かった全日本の助っ人として翌73年3月から日本に定着。家族も呼び寄せて79年6月まで6年3カ月も日本で暮らしました。

日本に住んだデストロイヤーは意外な才能を発揮しました。73年10月5日から日本テレビ系でスタートしたバラエティ番組『金曜10時!うわさのチャンネル!!』(金曜日午後10時~11時)でコメディアンとして人気が爆発したのです。和田アキ子扮するゴッドねえちゃん、せんだみつおら相手にカタコトの日本語でボケるデストロイヤーの珍妙なやりとりが大受け。デストロイヤーがハリセンなどでゴッドねえちゃんにドツキ回されるシーンは大爆笑を生みました。結果、当初5%にも満たなかった視聴率が1カ月後には20%を突破し、全盛期には30%台を弾き出す人気番組に。デストロイヤーのタレント人気は全日本プロレスの視聴率、観客動員にも貢献したのです。

実はデストロイヤーはカタカタ、簡単な漢字を読むこともできましたが「あんまりわかるようになっちゃうと、番組が面白くなくなるよ」と和田アキ子に言われ、日本語を本格的に勉強することはやめたといいます。デストロイヤーは、今やテレビで引っ張りだこの外国人バラエティ・タレントの元祖だったと言ってもいいでしょう。

79年6月19日の後楽園ホールにおける馬場との一騎打ち最後に故郷ニューヨーク州バッファローのアクロンに帰ったデストロイヤーは小学校の体育教師、高校のレスリング部のコーチをやりながらパートタイムでレスラーも続け、夏休み期間中には毎年日本でもファイト。そして93年7月29日に日本武道館で引退しました。

引退後もレスリングを通じての子供たちの日米親善交流に尽力し、11年8月27日、日本武道館で開催された東日本大震災復興支援チャリティープロレス大会では26選手参加バトルロイヤルの立会人として元気な姿を見せてくれました。84歳になった今も白覆面の魔王は健在です。

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