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映画スターになったプロレスラー 前編

4月6日(現地時間)米国ルイジアナ州ニューオーリンズで開催された『レッスルマニア30』でハルク・ホーガン、スティーブ・オースチン、ザ・ロックが揃い踏みしました。この3人は映画でも活躍していますが、パフォーマンスする舞台をリングからスクリーンに変えたプロレスラーは少なくありません。そこで、まずはこの3人から映画スターになったプロレスラーたちにスポットを当てていきましょう。

小佐野 景浩

執筆者:小佐野 景浩

プロレスガイド

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スコーピオン・キングの記者会見に臨んだ時のザ・ロック

さる4月6日(現地時間)米国ルイジアナ州ニューオーリンズのメルセデス・ベンツ・スーパードームでWWEが開催した『レッスルマニア30』は7万5167人の大観衆を動員、同所のエンターテインメント・イベント新記録の1090万ドル(約11億円)の収益を上げる世界最大のプロレスの祭典となりました。

オープニングではWWEの歴史を創ったレジェンドのハルク・ホーガン、スティーブ・オースチン、ザ・ロックが揃い踏みして大観衆を狂喜させましたが、この3人の共通点はトップのプロレスラーであったと同時にハリウッド・スターでもあるということです。

実はパフォーマンスする舞台をリングからスクリーンに変えたプロレスラーは少なくありません。そこで「映画スターになったプロレスラー」を3回に分けて紹介しようと思いますが、その前編としてホーガン、オースチン、ロックの3人にスポットを当てましょう。


ホーガンの『ロッキー3』出演が米マットを変えた!

ニューヨークを拠点にした米国北東部をテリトリーとしていたWWE(前名WWF)は1984年から全米に侵攻して今やスポーツ・エンターテインメントの大企業になりましたが、そのきっかけとなったのはハルク・ホーガンの映画出演でした。

ホーガンはWWEで新しいタイプのヒールとして売り出されていましたが、そのビデオテープをたまたま見たシルヴェスター・スタローンが「俺が欲しいのはこいつだ!」と惚れ込んで『ロッキー3』に出演をオファー、主人公のロッキー・バルボアと戦うプロレスラー、サンダー・リップス役に起用したのです。

『ロッキー3』は82年5月に全米公開され、同年7月に日本でも封切られて大ヒットとなりました。これにともない、ホーガンは実際のプロレスのリングではファンに支持されてベビーフェースに転向。WWEのオーナー、ビンス・マクマホンは全米のプロレス・マーケット統一という大きな野望を持っていて、大衆の感性にアピールする新たなヒーローを探していましたが、『ロッキー3』出演で全国的なネームバリューを持つホーガンは打ってつけの人材でした。

ホーガンは84年1月23日、イランの鋼鉄怪人アイアン・シークからWWFヘビー級王座を奪取。この日を境にホーガンとマクマホンは全米制圧に乗り出し、米マットの流れを大きく変えていったのです。神への祈りとトレーニング、ビタミン摂取を唱えるホーガンはプロレスの枠を越えて「強いアメリカの象徴」となり、様々な映画やテレビドラマに出演するエンターテイナーになりました。

05年夏から07年にかけてテレビ放映されたリアリティーショー番組『ホーガン・ノーズ・ベスト』にはホーガン・ファミリーが総出演し、ホーガンの親バカぶりが大受けして大ヒット。人気を博した長女ブルック・ホーガンは06年10月に歌手デビューして日本でもアルバムがリリースされています。
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