子育て層と非子育て層の住み分けができればよいが
「大人に都合のいい子」がいい子?
では親としてはどういう子育てをしたいと望み、何を選択するのか? 子どもに対して許容量の小さい地域で、それでもそこで自分の子を育てたいと望むなら、「他の人に迷惑がかかるから、おうちでは静かにしなきゃダメ」と教えるのはトレードオフだ。
一方、子どもは大きな声を出して走り回るものだ、そう育てたいと望むのなら、そういう子どもへの許容量が小さく耐性の低い地域からは引っ越すのがトレードオフでもある。
もちろん、こういった「子育て層」「非子育て層」の物理的な住み分けは本来なら一番の策だが、土地の少ない日本の都市部ではそうもいかず、子どもを育てやすい土地とは、多くの場合都心から離れた郊外を指すことが多い。となれば、経済的にも年齢的にも若く物入りな子育て世帯のために、「子育てに優しい街」を視野に入れて都市計画を立て、住み分け促進の税優遇策や、子育てしやすいインフラ構築に成功した地域が、次世代の繁栄を(子育て期間の20年程度は確実に)エンジョイできるというわけだ。20世紀後半の30~40年ほどは、こういう町づくりが王道だった。
これは、少子高齢化問題の一例でもある
これは少子高齢化問題でもある
しかし大きな屋敷が次々と売りに出され開発が進むなどして新築マンションが林立し、東灘区の交通の便の良さやブランドイメージ、文教地区としての実績で若い家庭が流入する。世代的にも保育需要は高く、保育所が新設されたりするが、古くからの住人としては自分の住居の周辺で次々と起こる変化についていくことは難しく、ましてライフスタイルの違いは価値観の違いで、年配者としてはまったく面白くない。「保育」自体に持つネガティブな感情が、そのまま騒音クレームへと繋がることも想像に難くない。
共働き家庭の浸透が促進されると、働き盛りの父親と母親が都心の職場で働いている昼間、郊外の緑豊かなベッドタウンに残されているのは「年寄りと子ども」、それが少子高齢化の現実である。本当なら、みんなお互いさまとして理解しあい、楽しく共生できるはず。どこでボタンの掛け違いが起こってしまったのだろう。