日本プロ野球界独特の“親が子を守る当然の行為”
プロ野球界のタイトル争いを巡る問題は、古くは1956年にまでさかのぼる。
古くは1956年、打率1位、2位だった西鉄ライオンズの豊田泰光、中西太が最終戦を欠場した。当時の三原修監督の「豊田に初の打撃タイトルを獲らせたい」という意向が働いたと言われている。敬遠合戦では、1982年に中日の田尾安志と大洋・長崎啓二との首位打者争いで、田尾が5連続敬遠を受けてタイトルを逃した。1991年、中日の落合博満とヤクルトの古田敦也の首位打者争いでは、落合が6打席連続四球で古田に敗れた。1999年、巨人の上原浩治(現レッドソックス)は、本塁打王争いをする松井秀喜を援護するために、ヤクルトのロベルト・ペタジーニを歩かせる指示を受け、マウンド上で涙した。
最も“露骨”だったのは1984年、阪神・掛布雅之と中日・宇野勝との本塁打王争いを巡って起きた敬遠合戦だろう。37本で並んだまま、両チームは10月3、5日の直接対決で最終戦を迎えることになった。ナゴヤ球場で行われた3日のゲームで、両者とも5打席連続敬遠。甲子園球場で行われた5日のゲームでも5打席連続敬遠で、計10打席連続敬遠。結局、両者でタイトルを分けた形だが、試合後、グラウンドにファンがなだれ込み、大混乱となったことを思えば、果たしてこれで良かったのかどうか? ファンの思いがどこかに置き去りにされたことだけは確かだった。
メジャーリーグではどうなのか? 最後の4割打者であるテッド・ウィリアムズは最後まで試合に出続けた。4割をキープして規定打席に達した時点で出場を見合わせるなんてことはしない。また、プレーオフ進出の順位が決定した時点で、消化試合を中止にする。タイトルを保護するような行為は考えられず、ファンあっての野球であることは明確である。
もちろん、今やほとんどの選手がタイトル料のインセンティブ契約を結んでおり、監督としても選手との信頼関係を強化するためにサポートする気持ちはわかる。だが、もうこのへんでタイトル保護にならないような明確なルールを作るべきではないだろうか。もしくは、首位打者を、本塁打王を、打点王を狙う選手は、際どさが問題になる必要がないくらい圧倒的に打ちまくるしかない。