平賀源内のお墓でお参り
白髭橋のたもとにあった記念碑。番号は4番だけど、3番に向かう途中にあったので、こちらをパチリ。かつてこの一帯は、風光明媚な地で、著名人の屋敷が軒を連ねていたそうだ。明治時代の政治家、三条実朝も「対鴎荘」なる別邸をここに構えていた。その三条実美が病気になり、こちらで療養している時に明治天皇がお見舞いに来られたそうだ。さて、次は平賀源内の墓所。
今やエレキテルというと「ダメよ、ダメ、ダメ」でお馴染みのお笑いコンビを思い浮かべる人も多いかもしれない(もうちょっと古い?)。このエレキテルというのは、江戸時代に蘭学者の平賀源内が復元した摩擦起電気機のこと。1779年(安永8年)に源内は刃傷事件を起こし、牢内で病死している。もともとここにあった総泉寺に葬られたのだが、総泉寺が板橋区に移ったあとも、墓だけはここに残ったのだとか。
築地塀が整備された後、1943年(昭和18年)に国指定史跡になっている。中に入ってお参りができるそうだ。
平賀源内というとナゾの多い人物だが、その才能は多岐にわたっている。「土用丑の日」という日本で最初の広告キャッチコピーを考えたのも源内だと言われている。今もファンは多く、碑の前に置かれたノートには訪れた人が署名しているが、それを見ると毎日、参拝者が耐えないのがわかる。