どこから見てもすぐ分かる赤の代ゼミの看板もほとんどが消えてしまう
代ゼミ大量リストラへの背景
まず話は2007年に戻る。「2007年問題」と言われ、「全入の時代」が来ると予想された。大学「全入時代」とは、大学の収容能力(入学者数/全志願者数)が100%になり、入る大学や学部を選ばなければ全員が(計算上では)大学に入れるようになるということ。代ゼミの生徒数が目立って減り始めたと感じるようになったのは2000年頃からのことだ。正確な数字は我々は把握していないが、各校舎長の話では毎年数%ずつ減少し、100人~200人ほどの教室の空席があきらかに目立つようになっていった。
そこで代ゼミは2007年問題に対する対策として2004年頃から、3つの対策を実行した。
- 各校舎の大教室の小教室化
- 使用しない階の閉鎖(一部の校舎の他用途への転用)
- 講師料・職員給与の大幅な減額
ほぼすべての教室を最高でも80名程度、平均すると40~50名程度の教室に作り替えた。このような改装は全国の校舎で行われ、かなりの資金が投入された。ここで申し上げておくと代ゼミは、無借金経営、すべての土地建物は所有するという経営スタイルを取ってきた(これが後で申し上げる大幅な改革が遅れた原因でもある)。
予備校と言えば、200人以上もの教室に受験生をいっぱいに集めて授業をするというイメージを持っているのは40代、50代の人だろう。実際そのような光景は、10年前から代ゼミからまったく消えてしまっていたのである。また8階もある校舎も4階以上は使用しないで閉鎖するなど思い切った対策が取られた。2010年京都の東本願寺横にあった京都校の二つの校舎の一つが貸し出され、「ホテルカンラ京都」になったのもその一貫である。
講師料も毎年ほとんどの講師で減額がされ、講師料が高いというイメージもすでに過去のものとなっている。実際に他の予備校と掛け持ちしている講師は多く、他の方が高いと愚痴る声をよく聞くようになった。
そういったかなり強引な方法で改革はしっかり断行されたと思われる。しかし、まったく状況は好転しなかった。