「道路族」って何?
道路上で子育て? 危なくないの……?
車道で、近隣に住む主婦が輪となって大声で井戸端会議。その近くで子供達が叫びながら全力で遊び、騒音トラブルや交通事故の引き金になっているのだという。そして、ネットで訴える人々が軒並み「でも、注意したら逆ギレされるから言えない」「実際に注意したら凄まれた」「子どもに注意したら、夜に親が怒鳴り込んできた」などと、その親の怖さを訴えているのも特徴的だ。
迷惑を被りつつも、面と向かって言えない恐怖との板挟みでひたすら騒音に耐えて、だからネット上で吐き出し、盛り上がる。そんなメカニズムが観察できる。
道路族は「マイルドヤンキー問題」でもある
「道路で遊んで騒ぐ子どもは昔からいたよ、だから地域の住民が注意して、近所ぐるみで子どもを育てたものだよ」と指摘する人は多いだろう。でも、まず周りの人が注意できない雰囲気なのだ。そして、周りの人が注意して理解できる子どもたちとその親たちなら、そもそも自制して危険な道路なんかで遊ばせない。周囲の住民に騒音で迷惑をかけることも始めから避けることができるから、「道路族」という現象に至っていないはずなのだ。
実際、都内の豊かな層に住む人たちは「道路で子どもを遊ばせる集団? そんなの聞いたことない。そんな事例があるの?」とポカンとしている。「道路族」を知っている人と知らない人、「道路族」問題を実感として持つ人と全く持たない人がいる。それはなぜか。
「道路族」とは、格差の問題でもあるからだ。豊かな地域には現れにくい「集団で非常識な行動に出たり迷惑を掛けたりすることへの意識が甘い、またはそれを正当化するオラオラな人々の層」と、「それを見ても注意することができず、不満を飲み込んでしまう穏やかで気の弱い層」の、双方向的な問題なのである。
そう、最近マイルドヤンキーと名付けられて日本全国に広がっていると言われる、特別「非行」というわけでもないけれど地元密着のちょっとヤンキーっぽい人々と、それに迷惑を被っても何もできない人々。どこにでもある、地元の公立中学や高校をイメージして欲しい。日本全国、総「中坊社会」の縮図だ。