都市計画の地域格差

道路族

公園に行けない、だから「道路」

自宅リビングの延長は求めるが、公園は「リアルな社会」への窓だから心理的に抵抗がある「道路族」。子どもが集わない公園からは活気が失われ、行政担当者はその地域への公園の必要性を感じなくなる。本当に公園が必要な地域こそ、公園環境が貧しくなっていく。

都市計画は地域格差が出やすく、需給関係の地域的なアンバランスが見られるものだ。豊かな地域に緑豊かでつやつやした幸せな公園を作るのは、財政も豊かなら土地の確保にも抵抗がなくて簡単だ。だからそういう地域へ、移動できる自由さを持った豊かな住民が流入する。環境の良い地域は高くなる。

都市計画から置きざりとなった地域には、問題が溜まっていく。世帯収入にも限りのある世帯は、移動の自由を持たない。そこに小さな子どもを育てていればなおさらだ。行政側としても、豊かでない地域や人の多い雑多な地域に公園を作るといろいろ集まってくるから、公園が荒れるのを防ぐために禁止事項が増え、不自由さばかりが増えていく。

昔は近所の人が叱った、とか、昔は道路でも子どもを遊ばせる余裕があったとかのノスタルジックな意見も、地域の事情や現代の交通事情の前にはむなしく響く。地域が既に子育てを受け止める余裕を持っていないのだ。地域の子育て機能が豊かな地域と貧弱な地域、この点でも、地域格差が出ている。

車が増え、「他人」ばかりで所有地の意識が強くなった現代。その分、誰でも入れる土地としての広場の必要性が高まっているが、そこに参加するのさえ抵抗がある、リアルなコミュニケーションを閉じた層が広がっている。広場は社会の縮図であり、そこからはみ出た先が「道路」なのだ。





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