一期一会、今の軍艦島を記憶に留めましょう
一般の人の見学が許可された軍艦島ですが、見学者の安全を確保するため、見学可能なエリアは長崎市が整備した島の南西側のごく一部に限られています。上陸後は、専門のガイドによる説明を聞きながら島内を見学しますが、全部の説明が終わるまで同じ船に乗った人たちでグループ行動するのがルール。
全部の説明が終わった後、船に戻るまでのわずかな時間だけ自由に動けますので、それまでは写真撮影も控えて専門のガイドの説明を聞くことに徹しましょう。
なお最初に紹介したとおり、島の埋め立てに捨石(ボタ)が使われたこともあり、今でも地面は熱を持って暑くなることがあるとのこと。直射日光の強い夏場は40度近くになることもあるそうなので、専門のガイドの注意を良く聞いておきましょう。
島内の建物は、ほとんどが鉄筋コンクリートで造られていて、端島炭鉱が多くの人たちで賑わっていた大正時代から昭和時代中期に建てられました。
しかし、無人島になった後、風化が一気に進み一部が崩れているものが多数あります。通路や3箇所ある見学広場の周囲にも瓦礫(がれき)が山積みです。
これらの建物の崩壊には人の手は一切加わっておらず、すべて自然の力によるものとのこと。40年という時間の経過こそありますが、建物はこんなにももろい物なのか……という驚きに包まれます。
第2見学広場から見える階段だけが残るこの場所は、炭鉱で作業をしていた人たちが海底にある炭鉱に向けて下りる入口(桟橋)があった所。
階段の黒ずみは作業をしていた人たちの靴についた石炭でずっと消えずに残っているのだそうです。
島の南西にある第3見学広場からは、大正時代に造られた日本で一番古い鉄筋コンクリート造りのアパートである30号棟と、昭和時代に建てられた31号棟の並びが見られます。30号棟に至ってはまもなく築100年に達するとのことで、この形で残っていることが奇跡にも思えます。
その奥、小高い所を見上げると白い灯台があるのに気がつきますが、これは閉山してから取り付けたものとのこと。炭鉱が動いている時は、炭鉱の建物の灯りが夜中もずっと輝いていたことから、灯台をわざわざ造る必要がなかったのだそうです。
ピーク時は3000人以上の人が住んでいて、24時間操業で石炭を掘っていたという軍艦島(端島)の凄さが良くわかるエピソードですね。
第3見学広場にて、専門のガイドによる説明が終了。グループ行動はここで終わり、後は船が出航するまでの時間が写真撮影を自由にできる時間となります。
専門のガイドの方の話では、世界遺産の暫定リストに掲載されたこともあり、史跡として保存できるように行政など関係機関が動き始めていますが、建物の傷みが激しく、現状を維持するのもかなり大変な状態とのこと。
次回見学できたとしても「まったく同じ状態で見ることはできないでしょう」という説明をされていました。まさに「一期一会(いちごいちえ)」という言葉を実感できる場所だと言えます。
予定の見学時間を終えて、ブラック・ダイヤモンド号は軍艦島を離れます。後ろに遠ざかっていく軍艦島を眺めていると、また機会を作ってその時の軍艦島の表情を見に行きたいと思えてしまいます。
軍艦島からは、伊王島に立ち寄った後、長崎港へ戻り、3時間強のツアーは終了です。
世界遺産暫定リストへの掲載など、近代産業遺産の一つとして注目を浴びている軍艦島をご紹介してきましたが、いかがだったでしょうか?上陸ツアーを行う会社の一覧など、軍艦島へのアプローチ方法は次ページに関連サイトとしてまとめておきました。
思い立たないと行けない所ではありますが、長崎まで来たら、貴重な社会見学の場として今の軍艦島を目に焼き付けるべく、ぜひ訪れてみてください。