山崎五紀(左)と立野記代のJBエンジェルス
過去にWWEに登場した日本人レスラーたち
7月12日、大阪・舞洲アリーナのリング上でハルク・ホーガン立ち合いのもとにWWEと公開契約したKENTAは、同月16日に渡米。現在はフロリダ州オーランドのパフォーマンスセンターでNXTブランドでのデビューを目指して調整中です。WWEの公式サイトにはKENTAが英語で受け答えしているインタビューや、日本でKENTAと対戦したことがあるWWEスーパースターたちの証言がアップされており、好待遇でのデビューが予想されます。KENTA以外にも、これまで多くの日本人選手がWWEでファイトしてきました。1960年代にはアメリカ修行中のジャイアント馬場が活躍し、64年2月17日には世界の檜舞台ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで時の世界チャンピオン、ブルーノ・サンマルチノに挑戦しています。74年にはWWEと新日本プロレスが提携し、76年1月に藤波辰爾(当時は辰巳)がマジソンでジュニア・ヘビー級王者に。アントニオ猪木は世界格闘技ヘビー級王者に認定されています。
WWE年間最大イベントの『レッスルマニア』には91年の第7回大会に天龍源一郎と元大相撲横綱の北尾光司が日本人レスラーとして初出場。東部地区のプロモーションから全米に侵攻して世界最大のプロレス組織に成長した後のWWEでチャンピオンになった日本人男子レスラーはTAKAみちのく(世界ライトヘビー級)、TAJIRI(ライトヘビー級、クルーザー級、世界タッグ、タッグ)、FUNAKI(クルーザー級)、KENSO(タッグ)の4人です。
さて、WWEに初めて上がった日本人女子プロレスラーは長与千種&ライオネス飛鳥のクラッシュ・ギャルズとダンプ松本&ブル中野です。4人は86年3月にWWEを1週間サーキットし、同月16日には揃ってマジソンのリングに上がりました。また、ブル中野は94年11月20日、東京ドームでアルンドラ・ブレイズに勝って世界女子王座を奪取。これは日本人で唯一人の快挙でした。
ブルは世界王者としてWWEをサーキットしましたが、日本人女子としてもっとも成功したのは立野記代&山崎五紀のJBエンジェルスでしょう。全日本女子プロレスが最初にWWEに送り込んだのは前述のようにクラッシュと極悪同盟でしたが、WWEサイドが望んでいたのはボーイッシュなクラッシュ、ヒールの極悪同盟ではなく、フレッシュなコンビでした。JBエンジェルスは当時のWWE海外進出部長のジェームス・E・トロイ氏のリクエストだったのです。
アイドル系として”女子プロ界の聖子ちゃん”と呼ばれていた立野とキビキビとしたファイトで人気を博した山崎は86年1月にクラッシュが返上したWWWA世界タッグ王座をブル中野&コンドル斉藤と争って奪取。当時の人気女子レスラーがみんなそうだったようにペアで歌手デビューすることになり、CBSソニーがJB(ジャンピング・ボム)エンジェルスと名付けました。