世界タッグ王座奪取&テレビCM!全米を席巻したJBエンジェルス

トロイ氏のオファーを受けて87年6月24日から8月2日までWWEで約40試合を行ったJBエンジェルスはスピード感溢れるファイトと日本流のハイレベルなテクニックを披露、さらに健康的な愛らしいルックスでたちまち人気者になりました。当時のアメリカの女子プロレスはお色気を振りまくアトラクション的な要素が強いものしたが、JBエンジェルスのアスリート的なファイトは女子プロの地位を向上させたのです。プロの興行は集客力がすべてだけに、結果を出せば男女の区別はなく、JBエンジェルスは女子プロ落として初めてメインイベントに出場するという快挙も成し遂げました。

8月に帰国しましたが、再びオファーを受けて10月にはWWEにUターン。11月24日のオハイオ州クリーブランドにおけるペイパービュー生中継の『サバイバー・シリーズ』というビッグマッチでは女子のベビーフェース軍vsヒール軍の5vs5勝ち残り戦に出場、JBエンジェルスの2人が勝ち残ってベビーフェース軍に勝利をもらしました。そして年明け88年1月24日、カナダ・オンタリオ州ハミルトンにおけるペイパービュー生中継『ロイヤル・ランブル』ではレイ・ラニカイ&ジュディ・マーチンのグラマー・ガールズを撃破して世界女子タッグ王者の頂点に立ちました。

いかに人気があったかはWWEの選手をキャラクターにしたアイスクリームのテレビCMにも出演していたことでもわかります。「私たちは日本から来たジャンピング・ボム・エンジェルス。アメリカも好きだけど、このアイスクリームも大好きなの!」と2人が日本語で喋り、英語の字幕が付いたCMが全米に流れていたのです。

しかしJBエンジェルスがWWEで活躍した期間は短いものでした。同年3月にWWE世界女子タッグ王者として全日本女子に凱旋し、6月8日に大宮でグラマー・ガールズに王座を奪回されて、そのまま3度目の遠征はなかったのです。実は6月からWWEに戻ることになっていて、JBエンジェルスの2人は荷物も、純和風の新しいコスチュームもアメリカに置いてきていましたが、全日本女子プロレスとWWEの間でトラブルが起こって立ち消えになってしまったのです。WWEは2人に全日本女子を辞めてWWEと契約することを提案しましたが、まだ22歳だった立野と山崎には踏ん切りがつかず、全日本女子に残りました。

山崎は91年12月に引退して現在はニューヨークに住んで夫婦で日本食レストランを経営、立野は2010年10月に引退して都内でバーを経営して、それぞれに第2の人生を過ごしています。

活躍した期間はトータルで9ヵ月足らずでしたが、全盛期のハルク・ホーガンを抱えた当時のWWEはテレビを通じて世界進出に乗り出していた時期だけに、JBエンジェルスはテレビの電波に乗って全米、カナダでは誰もが知っているメジャーな女性アスリートになりました。そのインパクトは強かったようで、今でも山崎は街を歩いていると声をかけられるようです。

「現地のジャーナリストに”我々が知っている日本のプロスポーツ選手はゴルファーの岡本綾子とプロレスラーのジャンピング・ボム・エンジェルスだけだよ”と言われましたけど、当時の私たちはそれがどれだけ凄いことかわからなかったですね」と述懐するのは立野です。


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