「いいとも」が恋しくなる瞬間
先日放送された「武器はテレビ。SMAP×FNS 27時間テレビ」で、久々にフジのバラエティーに出演したタモリを見ることができました。相変わらず肩の力を抜きながらも、SMAPの5人を一斉に眠らせてしまったりと、予定調和からスルリとハミ出した進行は、少しも衰えを感じさせませんでした。あの飄々としたたたずまいに、あらためて「いいとも」が恋しくなった人も多いのでは。そんな方々へ、せめてもの慰めになればという思いを込めて、忘れた頃に復活する「いいとも思い出話」シリーズです。何しろ32年間続いたレジェンド番組ですから、エピソードはいくらだってあります。
唯一無二のエンターテイナー
SMAPをはじめとして「いいとも」から羽ばたいたタレントは大勢いますが、まったくの新人として参加しながら、着々と実績を積み重ね、長年に渡って女芸人の集団でもトップの座を守り続けているのが、清水ミチコその人です。ということで今回は、芸達者なベテランにもかかわらず初々しさを失わない(永六輔いわく「芸はプロだが、生き方は素人」)のミッチャンに迫ってみたいと思いますす。歴代のいいとも青年隊(少女隊)を別にすると、ある程度の実力が認められたうえでのレギュラー抜擢という流れが、「いいとも」にはありました。ところが、87年10月にメンバー入りした清水ミチコは、それ以前のテレビ出演といえば同年4月に放送された「冗談画報」(フジ)のみ。テレビ2本目で超人気番組のレギュラー獲得と、とんでもない出世ストーリーにも見えます。
ところが、ここが清水ミチコという人の複雑なトコなんですが、かなり以前から放送の世界では実績を積んでいたんですね。「いいとも」出演の4年前にはラジオ番組の構成および出演を果たしています。その後はラジオのDJやテレビCMでナレーションやボーカルを担当。86年2月には渋谷ジァン・ジァンでのライブもスタートさせ、たちまちコアなお笑いファンの知るところとなりました。
貴重なアドバイスを守り続けて
ところが当時の深夜番組などで声の仕事も頻繁にやっていながら、かたくなに「顔出し」をしない時期がかなり続いたんですね。勝手な妄想ですが「テレビで全国に顔を見せたら、まずいことでもあるんじゃないか?」とあらぬ疑いも抱いてしまいました(笑)。実際のところは、お世話になってる人から「いろいろ出て稼ぐより、本当に好きなことをやれば?」とアドバイスされたそうです。今もそれを守っていながら、長年第一線で活躍し続けているというのは、とてつもなくスゴイことです。そんな人、他にいませんから!!