まずは少しだけ回り道をして、郵便創業の父・前島密の想いから語り始めたいと思います。次は博物館の沿革です。郵政博物館の前身である逓信総合博物館が移転リニューアルするまでの歩みについて語ります。そして最後に、スカイツリータウンにある現在の郵政博物館の見どころについて紹介していきます。
日本郵便の父・前島密と歴史書編纂
日本の郵便創業の父・前島密(まえじまひそか)は、歴史の教科書でも必ず触れられる重要な歴史的人物です。旧幕臣の前島密は明治新政府に財務官僚として登用され、郵便制度の創業を任され、まずは東海道沿いに郵便のルートを開設したり、日本最初の切手である竜切手(明治4(1871)年)を企画したりしました。ところが、日本郵便事業の創業以来、郵政のトップにあった前島密は、明治十四年の政変で大隈重信と一緒に失脚してしまいました。前島密は在任中に日本の郵便制度ができていくまでの歴史書を編纂するように命じたのですが、『大日本帝国駅逓志稿』という一篇の書が世に出た時には、前島密は在野(民間)の人となっていました。
日本郵便の父の熱い想い
その後、前島密は大隈重信が設立した東京専門学校(早稲田大学の前身)で校長を務めたのち、政府に戻って逓信次官を務め、電話事業創業に携わるなど再び華々しい活躍を遂げました。後年の前島密の経歴の中で興味深く思われるのは、明治36(1903)年に歴史家たちの学会の場に出向いたという公式の記録があることです。その場所で、「郵便事業を歴史研究の対象として欲しい」と自ら訴えたのです。明治35(1902)年に新設された郵便博物館を存分に利用してほしいという気持ちはもちろん、それ以上に明治十四年の政変で失脚してしまい、日本初の郵便史の編纂を自ら指揮できなかった悔しさが背景にあったのではないでしょうか。
なお、『大日本帝国駅逓志稿』編纂のために収集された資料類も、現在の郵政博物館の収蔵品となっています。(参考文献 薮内吉彦、『日本郵便創業の歴史』、明石書店、2013年)
次のページでは、郵便博物館の歩みについて紹介したいと思います。