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写真で見る被災地のその後の変化 ≪石巻≫2014(2ページ目)

東日本大震災から3年が経ち、被災地の復興はどの程度進んだのでしょうか。宮城県石巻市立大川小学校、旧石巻市北上総合支所、十三浜と、2年前の2012年にたどった道筋を再び追ってみました。

井上 恵子

執筆者:井上 恵子

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(旧)石巻市北上総合支所

石巻市北上総合支所は、石巻市立大川小学校と北上川をはさんだ対岸にあり、より河口に近い位置にありました。避難所として指定されており、避難してきた住民も合わせ57名がいましたが、2階を上回る高さの津波に襲われ、助かったのは3名のみでした。

2012年に訪れた時にはすでに解体作業が始まっていました(【写真7】)。さらに2年が経った現在はすでに解体が終わり、建物は跡形もなくなくなり、跡地には土が高く盛られていました(【写真8】)。

【写真7】2012年4月、解体中の石巻市北上総合支所(2年前)

【写真7】

【写真7】



【写真8】2014年6月の同建物跡地(現在)

【写真8】

【写真8】


この北上総合支所の北側には3階建ての石巻市立吉浜小学校がありました。こちらの屋上に避難していた生徒・教員は助かりましたが、隣の北上総合支所に逃げ込んだ7名の生徒は津波にのまれました。

2年前に訪れた時に2時46分で止まったままの時計が残っていた校舎(【写真9】)も、いまでは取り壊しが終了し、こちらも跡地に高く盛られた土があるのみでした(【写真10】)。

【写真9】2012年4月、石巻市立吉浜小学校(2年前)。当時の校舎には2時46分で止まったままの時計が残されていました。

【写真9】

【写真9】


【写真10】2014年6月の同建物跡地(現在)

【写真10】2014年6月の石巻市立吉浜小学校跡地。2012年撮影の写真と角度は違うが、校舎は解体され、建物は残っていない

【写真10】2014年6月の石巻市立吉浜小学校跡地。2012年撮影の写真と角度は違うが、校舎は解体され、建物は残っていない


旧石巻市北上総合支所と、支所に隣り合う石巻市立吉浜小学校、この二つとも建物の解体がすっかり済み、建物は跡形もなくなっています。道路の形状も変わっており、今回は2年ぶりの再訪でしたが、跡地を見つけるのは困難でした。

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