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写真で見る被災地のその後の変化 ≪石巻≫2014

東日本大震災から3年が経ち、被災地の復興はどの程度進んだのでしょうか。宮城県石巻市立大川小学校、旧石巻市北上総合支所、十三浜と、2年前の2012年にたどった道筋を再び追ってみました。

井上 恵子

執筆者:井上 恵子

住まいの性能・安全ガイド

東日本大震災から1年経った2012年4月、被災地の宮城県石巻市を訪問し、その様子を「写真で見る、被災地のその後 ≪石巻、十三浜≫」でレポートしました。当時は一部の建物の解体は始まっていましたが、多くが被害を受けたそのままの姿で残っている状況でした。それからさらに2年経った2014年6月、ほぼ同じルートをたどり、その後の復興状況を見てまいりました。2年の月日はどのような変化をもたらしたか、写真で見ていきましょう。

 

石巻市立大川小学校

児童108名中7割が死亡・行方不明になった石巻市立大川小学校は、震災後1年目も3年目も大きな変化はなく、時が止まったまま、そこに佇んでいました。

【写真1】2012年4月の大川小学校校舎(2年前)

【写真1】2年前の大川小学校

【写真1】



【写真2】2014年6月の同部分(現在)

【写真1】

【写真2】


2年経ち、土があらわになっていた地面に草が生えている以外は特に大きな変化はありませんが、種が飛んだのでしょうか、校舎2階バルコニーにも雑草が生い茂っていました(【写真3】)。

【写真3】大川小学校校舎の一部。現在。

【写真14】

【写真3】



続いては、同じく大川小学校の体育館への渡り廊下です。鉄筋コンクリートの柱が根元から折れ、鉄筋があらわになっています。

【写真4】2012年4月の大川小学校渡り廊下(2年前)

【写真4】

【写真4】



【写真5】2014年6月の同部分(現在)
【写真5】

【写真5】


こちらもほとんど変わらない姿のままでした。その一方で、新たにつくられたものもありました。それは、花壇と慰霊碑です。

【写真5】校庭の片隅にあった、お手入れされた花壇(現在)
【写真5】校庭の片隅の、お手入れされた花

【写真5】


【写真6】「もしここに逃げていたら助かったかもしれない」と言われる校舎裏山の前に建設された慰霊碑。

【写真6】

【写真6】


2012年に引き続き2年ぶりに訪れた大川小学校は、姿形はほぼ2年前のままでしたが、建物は全体に黒ずみが増し、風化が進んだ印象でした。今後もしこの校舎を震災のモニュメントとして残すのであれば、保存方法を検討したほうがよいのでは、と思いました。

再訪したのは平日でしたが、少し離れた場所で一人の男性が黙々と地面の草を刈っていました。新しくできた花壇の様子からみても、関係者の方がお手入れをし大切に守っている様子を感じました。

次のページは石巻市北上総合支所と石巻市立吉浜小学校の様子です。

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