新宿の戦後モダン建築

■東京日仏学院(アンスティチュ・フランセ東京)
新宿というイメージからは、ちょっと離れた市ヶ谷駅、神楽坂近く(新宿区市谷船河原町)にあるフランス政府の公式機関。語学学校の印象が強いですが、フランスの文化センターや情報発信基地としても、常にフランスから発信される展覧会、ダンス発表、映画上映などフランス好きにはたまらない、まさに「日本の中のフランス」。
にちふつ

この建物の特徴として挙がられるのが構造柱。コルビュジエの掲げたモダニズム建築の法則のひとつである「ドミノ・システム(床と柱でつくる構造)」を連想させますね。1961年に坂倉自身によって増築され、1994年に、日本の建築家ユニット「みかんぐみ」によってリノベーションされています。

設計はフランスでル・コルビュジエに師事した坂倉準三(さかくら・じゅんぞう)。坂倉は1937年にパリ万国博覧会では、日本館の設計を手がけた、フランスにゆかりのある建築家です。竣工は1951年で、戦後の日本モダン建築史の最初に登場することも多い名作です。建築家が好きな思想家・ロラン・バルトが講師として在籍したこともあるという逸話もアカデミズム感をより高めています。

紀伊國屋店新宿本店
「新宿の書店といえば紀伊國屋」という人は多いのではないでしょうか? あるいは「東京を代表する本屋さん」といってもいいかもしれませんね。ですが、現在、新宿東口にある紀伊國屋店新宿本店が、日本を代表するモダニズム建築家・前川國男(1932~1986)によるものだと知る人は案外、少ないかも知れません。前川といえば坂倉とともにコルビュジエに師事し、上野の国際文化会館(1955年、吉村順三と共同設計)や東京都美術館(1975年)といった「大きなハコモノ」のイメージが強いような気もします。

しかし、住宅や家具も手がけており、自身による木造の自邸(1942年)は「江戸東京たてもの園」に保存されています。紀伊國屋書店と前川の関係は古く、1945年に空襲で木造の店舗が焼失した後、バラック建築での営業を経て1947年に前川の設計による木造2階建てのモダンな書店を建てています。 木造時代の紀伊國屋書店は2階にギャラリーを併設し、「戦後書店建築の白眉」と評価されました。そのときの案内板などのグラフィックは、後に東京オリンピックの公式ポスターを制作したグラフィックデザイン界の巨匠・亀倉雄策でした。
きの

東京オリンピックが開かれた1964年に、地上9階、地下2階、延べ床面積3,560坪の現在の姿の伊國屋本社ビルは完成しました。現在は、にぎやかすぎる新宿道りでぞの存在が目立たない感もありますが、竣工当時のモダンさは相当、抜き出ていたことは想像できます。特に今でも下からバルコニーを見上げると、その曲線に晩年のコルビュジュエの造形を彷彿とさせるものがありますね。


■戸山ハイツ
すでに「団地萌え」というコトバは市民権を得ているようです。たとえば「工場萌え」などと同じように、団地そのものやその周辺の環境などを趣味・嗜好の対象にすることを指します。団地の写真集やなどもよく見かけますね。延長として「土木萌え」も出てきました。これは、ダムや橋などといった、建築物ではなく土木造形物に「萌える」人たちです。

団地、工場、橋、ダムといった機能的でインダストリアル、そして巨大でアノニマスなものを好む(萌える)傾向は、わかる気がします(理解不能な人も多いとは思いますが……)。場所は新宿駅の北東方面、早稲田大学理工学部から明治通りをはさんで東側に位置します(新宿区戸山一丁目~三丁目)。

戦後の住宅難を解消するためにつくられた木造の都営住宅である戸山ハイツの竣工は1949年で、都内の団地の原点ともいえます。その後、1970年代から鉄筋コンクリート造で高層の現在見られるようなマンモス団地へと変貌していきました。

特筆すべきことは立地。今では相当、地価の高いと思われる、山の手線内側の新宿区に建っていること。この団地ができた1970年代当時は、やや陸の孤島的な雰囲気があったと思われますが、現在は地下鉄、大江戸線・副都心線(東新宿駅や西早稲田駅)がすぐそばにあり、今では都心の超好立地。内装をリノベーションしたりして住みたいと思う人は多いかもしれませんね。
だんち

団地萌え的な要素としては大友克洋の『童夢』に登場するような高層が好きな人も多いかも知れませんが、私は写真のように5階建ての低層集合住宅の方がノスタルジーを感じて好みです。