昭和末期から平成にかけて再開発実施、
街の風景は大きく変わった
町屋は東西に細長い荒川区のちょうど中央に位置し、京成線、東京メトロ千代田線、都電荒川線(都電の駅名は町屋駅前停留所)が交差する区の商業の中心地です。東京の地名由来辞典(東京堂出版)によると、地名の由来には2説あり、早くから開けて町場化していたからとも、良質な土が取れたからとも言われており、判然としません。しかし、江戸時代にはすでに賑わう場所だったようで、そのためか、逆に長らく、昔ながらの低層、老朽化した木造家屋が密集、狭く、折れ曲がった路地が残されていた地域でもありました。
そこに再開発の計画が持ち上がったのは昭和56年。この地域を都電荒川線、京成線、幹線道路である尾竹橋通りで東、西、中央、南、北の5ブロックに分け、整備していくことが決まったのです。そのうちでも早かったのが昭和62年の西地区、同63年の東地区で、平成になってからは8年、9年に中央地区の2棟、そして平成18年には南地区にタワーマンションが建設され、現在は一段落した状態。当初の予定では北地区も対象エリアとなっていたのですが、ここでは平成17年に準備組合が解散してしまい、今後については未定です。行政としては不燃化を促進したい考えのようですが、現時点ではなんともいえないようです。
大型店もあるが、個人店の多い商店街も
街中には銭湯、町工場に猫
さて、駅前については近代的なビル、タワーの並ぶ町屋ですが、街中を歩いてみると昭和の下町の風情が色濃く残ります。まず、目につくのが銭湯の煙突。平屋の古い一戸建て、風呂無しのアパートなども残っていることからすると、利用者もまだまだいらっしゃるのでしょう。実際、荒川区では70歳以上を対象に、200円で銭湯に入れるというサービスを行っており、ニーズがあることが分かります。
当然ですが、高齢者を見かけることも多いのですが、一方で子育て世帯の姿が少ないわけではありません。駅周辺を中心に若い世代も増えているのでしょう、ベビーカーを押したり、自転車に2人の子どもを乗せて走るおかあさんの姿も目につきました。
赤札堂、グルメシティ、コモディイイダ、新鮮市場などといったスーパーに加え、個人商店も多く、かつ物価の安さには驚くばかり。生鮮食料品、衣料品から飲食店の価格までが下町価格というのでしょうか、どれも安く、暮らしやすそうです。
また、個人商店の中には味噌や履物、餅菓子、刃物などを扱う、新しい街にはない業種も多く、古くから栄えてきた街であることを彷彿とさせます。駅周辺を中心にスナックや居酒屋なども目につきました。
駅前から少し離れると、小さな町工場も点在しています。すでに営業をしていないような場所もあり、廃墟となりつつある風景も。住宅についても同様な場所があり、このあたり、行政の取り組みその他が必要なのかもしれません。
個人的には猫の多さも目につきました。この周辺にはそれほど大きな公園はないのですが、小さな公園の遊具の回りでのんびり寝そべる猫、住宅の入口で何匹もが丸まっている姿などを見かけ、なんとなく、ほっとした気分に。街全体の、のんびりした雰囲気を表しているようでもあります。
続いて京成線、東京メトロ千代田線町屋駅周辺の住宅事情を見ていきましょう。