南大東島、ロマン溢れる不思議な島
浅瀬がない大東島の海の色は深いブルーが特徴
沖縄本島の東約340kmに浮かぶ大東諸島は南北の大東島と無人島の沖大東島からなる諸島。地図で見てみればよくわかりますが、この3島のまわりには海洋が広がるばかりで、他のどんな陸地も見当たりません。まさに、太平洋に浮かぶ絶海の孤島という言葉がピッタリと当てはまります。そんな大東島は、その地理的特徴が示すとおり、沖縄の島でありながら沖縄っぽくなく、かといって日本っぽくもありません。それもそのはず、この島に人が住み始めてからまだたったの100年余り。
多くの人が大東島と聞いても、台風シーズンになると必ずウエザーニュースに名前があがる島という程度の認識で、一体日本のどのあたりに位置するのかさえ知らないのではないでしょうか。というわけで、今回はまだまだあまり知られていない日本の島、大東諸島・南大東島の魅力を前後編にわけてお伝えします。
南大東島の歴史
島の西に位置する塩屋プールから眺める北大東島
「うふあがり島」という名前を聞いたことがありますか? これは大東島の別名で、沖縄の言葉でうふは大きい、あがるは東を意味することから、はるか遠くの東に位置する島として、沖縄では昔から認識されていました。また、もうひとつ別名として
「ボロジノ島」という名前もありますが、これは19世紀にロシアの帆船ボロジノ号が島を発見し、船の名前にちなんでボロジノ島と名付けたことに由来します。
大東島がはじめて欧米の地図上に登場したのは、17世紀前半ですが、島の歴史自体は100万年前にも遡ると言われています。遥か赤道付近、ニューギニア近海で数度の珊瑚礁の隆起によって誕生し、フィリピンプレートに乗って永い歳月をかけて現在の位置まで移動してきたというから驚きです。誕生してから一度も陸地と繋がったことのない島を海洋島と呼びますが、大東島は典型的な海洋島。ちなみに今でも島は、年間7cmほど北東へ移動しているのだとか。
集落に残るプランテーション時代の建物がなんともレトロな印象
島の存在は知られていながら、海の上に突き立つように浮かぶこの島への上陸は難しく、日本の領土となったのは明治18年に沖縄県の探検隊によって上陸が果たされた時のこと。しかしながら、その後も厳しい自然環境の前に開拓は一行に進みませんでした。無人島としての歴史が永かったこの島にようやく人が住むようになったのは、今からたった114年前のことなのです。
島のあちらこちらで目にするシュガートレインの線路跡
八丈島出身の実業家、玉置半右衛門氏の上陸によって島の開拓が始まりました。この玉置氏は生涯をかけて大東島開拓へ情熱を注いだ人物で、開拓当時、八丈島だけでなく沖縄本島北部・伊平屋・伊是名・久米島などから移住者が集まり、北大東島は燐鉱石採掘、南大東島はサトウキビ産業が盛んとなり、最盛期には日本だけでなく台湾からの出稼ぎも大勢集まるほど両島は大きく賑わいました。興味深いのが、玉置氏の会社である玉置商会が大東島を国から買い取っていることです。その後経営は東洋製糖から大日本製糖へと変わりますが、島がまるごと民営の会社によってプランテーション的に管理されていたという事実。大東島にそんな歴史があることは、おそらく知らない人の方が多いのではないでしょうか。戦後一時アメリカ軍下に管理された後、村民に島の土地が変換されたのは1964年のことでした。