目次1年半、本文1か月

11月末あたりに、論文の目次・構成について、指導教授からご了承を頂けました。

締切は1月中旬(確か12日)。12月、物凄い勢いで論文を書いていきます。10万字、原稿用紙に換算すれば、250枚を超えていきます。社会人なので仕事には穴はあけられません。仕事をこなしながら、移動はタクシー、列車は特急に乗り、論文を読み、校正をしていました。まさに寸暇を惜しんで取り組みました。

後に妻が、院生生活を振り返って一言。「目次1年半、本文1か月」。最大の被害者だからこそ許される言葉です。

冬の公園へと追いやられる妻子

論文は先行研究を踏まえないといけません。ですから、先行研究を全部チェックしないといけないのです。私の周りは論文の詰まったファイルの山で囲まれます。これらを持って自宅以外で論文を書くことは不可能です。

大きな家でもなく、まだ、子供が小さいので、私が論文を書き始めると、妻子は寒空の公園で遊ぶしかありませんでした。

年末・年始、妻子を寒空の公園へと追いやってしまったのです。公園好きの子供は大喜び。しかし、表に出さない妻の怒りが不気味でした。

むかえる限界

締切前日。本文の校正が終わりました。間に合うかも。浅はかでした。

プリンターの故障・不調。10万字を越える論文なので、一部プリントアウトするのに、1時間を越えます。それが3部必要で、さらに、提出は、簡易製本をしなければなりません。その時間も余計にかかるのです。また、引用論文、脚注のチェックも忘れていました。

どうして間に合うかもなどと一瞬でも思ったのでしょう。時間が足りない。もっと、時間を。そうつぶやきながら、プリントアウトと最終校正を同時にしていきます。

もう一年あれば…。駄目です。寒空の公園に妻子を追いやるわけにはいきません。首筋辺りがピリピリと痛みます。帯状疱疹の再発でしょう。睡眠不足で体力が回復せず、肉体的に限界です。何より、能力の限界です。

提出期限まで4時間を切ります。食べ物など受け付けない胃にドリンク剤を流し込みました。

晴天ではあるが、寒さが厳しかった1月12日の午後2時に、修士論文を提出しました。提出したことをメールで妻に告げたこと以外は、この数時間はあまり覚えていません。

寒空、3時間

提出後さまようように大学を歩いていると、キャンパスの中庭で中国人留学生達に会いました。極度の疲労と安堵感でタガが外れて、寒空の中、3時間も話し込んでしまいました。

3月の卒業式、未来へ巣立つ将来有望な学生にまぎれて、30代後半に差し掛かり、満身創痍で修士号を取得した私がいました。

卒業式の日、卒業生は夕方から立川のホテルで卒業パーティーです。一方、私は夕方から大原立川校で教壇に立っていました。

こうして、社会人大学院生活は終わりを告げたのです。



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