ベートーヴェン:交響曲第9番『合唱付き』(第九)に込められた思いとは?
『第九(だいく)』という言葉を聞いただけで「年末だなぁ~」と条件反射的に思ってしまうほど12月によく演奏される曲、ベートーヴェン作曲の交響曲第9番『合唱付き』(ちなみに、12月にこれだけ演奏されるのは日本だけ)。『第九』といえば多くの人が思い浮かべるだろうあのメロディーは、第4楽章に登場する「歓喜の歌(喜びの歌)」という部分。広く知られ、なんとEUでは国歌のようにも使われている、世界で最も有名な一曲と言えるでしょう。
“歓喜”というだけあってさぞHappyな曲だろうと思いきや、最初の歌詞の意味はなんと「このような音ではない(怒)」! え、なぜ怒ってるの……?ということで、知られざる曲の内容や歌詞について迫ってみたいと思います!
まずは、作曲の背景
フランス革命からわずか3年後の1792年、22歳のベートーヴェンは、シラーの詩『歓喜に寄せて』と出合い、深く感動。いつかこの詩に曲を付けたいと心に秘め、約30年後の晩年54歳の時に完成・初演されました。フランス革命に始まる、主役が王侯貴族から市民に変わる時代に心踊らせた彼は、王や貴族や教会のために作られていたそれまでの音楽から離れ、正に市民のための生き生きとしたドラマティックな曲を多数生み出していきました。そして第3番『英雄』、第5番『運命』、第6番『田園』と名作が揃う交響曲のジャンルの集大成とも言えるのが最後の交響曲『第九』です。
特徴を3点!
1:なんといっても印象的で誰でも歌える名メロディー「歓喜の歌」メロディーをハ長調で記すと、
ミミファソ ソファミレ ドドレミ ミレレ
となります。ドレミファソラシドの音の並びを思い浮かべてほしいのですが、これ、一つの音から次の音に行くのは必ず隣の音なんです。なんてシンプル! 難しくないし無理もないから親しみやすいですし、誰でも歌えるんですよね。世界的な名曲になった理由の大きな一つがここにありそうですよね。
2:交響曲に合唱と独唱が加わった空前のスケール感
交響曲は大編成の楽器だけによる演奏形態ですが、以前から交響曲に使われることのなかった楽器を使ったり、作曲の慣例に従わない手法で書いてみたりと正に革命家だったベートーヴェン。第九では、なんと4人のソロ歌手と合唱団が加わっちゃうのですから本当にアヴァンギャルド! さらにそれまでの交響曲が30~40分くらいだったのに1時間を超える大作っぷり!
3:「このような音ではない!」と曲を全否定する物語??
「歓喜の歌」の歌詞の意味は、いきなり「O Freunde, nicht diese Töne !(おぉ、友よ、このような音ではない!)」。曲の中で曲を否定しているとは、いったいどういうことなんでしょう?
詳しく楽曲を分析していきましょう。
第九の楽曲分析
第1楽章:弦とホルンによるpp(ピアニッシモ=とても小さく)の神秘的な和音(空虚五度。長調か短調か分からない和音)で始まり、そこにメロディーの断片が。正に無から何かが生じるよう。20世紀前半の大巨匠指揮者フルトヴェングラーは「宇宙の創生」と呼んだ、正にそんな雰囲気です。直後に、この断片は力強い主題として提示されます。終始激しさを持った楽章。第2楽章:テンポの速いリズミカルな楽章。ティンパニが多用されていてとても目立ちます。
第3楽章:それまでと打って変わって、ゆったりとして美しい音が折れ重なるような楽章。
第4楽章:そして、いよいよ合唱が登場する楽章! ですが、実は「恐怖のファンファーレ」と呼ばれる強烈な不協和音で始まるのです……。そしてその響きを受け、低弦(チェロとコントラバス)が訴えるようなメロディーを聴かせるのですが、その意味は「No!」。なぜそれが分かるかというと、同じ旋律が後にバリトン(バス)歌手により歌われるのです。その歌詞はシラーが書いたものではなく、なんとベートーヴェンが書いたもので「おぉ、友よ、このような音ではない!」という意味。なるほど、直前の「恐怖のファンファーレ」に対し「不協和音はダメよ」と。
このやりとりがもう一度繰り返された後、次に現れるのはなんと1楽章の冒頭。ですがこれもまた低弦により「このような音ではない!」と否定……。しびれを切らし「もっとこういう感じにならないの!?」と言うかのようにちょっと演奏されるのが歓喜の歌に似ているような気も……。次に2楽章が現れ、これも否定。3楽章も現れますがもちろん否定。なんとここまでの音楽が全否定されてしまうのです!
「……では、これかい?」という感じで「歓喜の歌」の断片が登場すると、ついに低弦は否定せず「それだ!」という感じに応じ、いよいよ「歓喜の歌」のメロディーが低弦により奏でられるのです。次第に楽器は増え、それは賛同者が増え、幸せが世界中に広がっていくよう。1楽章から3楽章までもベートーヴェンの集大成と言える見事な音楽です。ですがそれを否定までしてそこからさらに先に生み出したのが「歓喜の歌」というわけです。ベートーヴェンがいかに特別な思いで書いたメロディーであるかが伝わります。ここに否定の意味・秘密があったのです。
この後はまた恐怖のファンファーレが響き、その否定として今度は低弦ではなくいよいよバリトン(バス)が登場。「おぉ、友よ、このような音ではない!」と歌います。以下も前述の楽器だけの際と同様。彼はそのまま「歓喜の歌」を歌い、他の声部が加わり華やかさを増していきます。歌詞の内容は要約すると「誰か一人でも心を通わせる友がいるならば喜ぼう。神の下、喜びを共にしよう!」という感じです。
その後、新たにシンバルとトライアングル、バスドラムが目立つトルコ風の行進曲が現れます。なぜ突然トルコなのでしょう? 思うに、これは「西欧音楽以外の音楽」なのではないでしょうか? つまりヨーロッパに限らない=「空間」を問わない=全世界的な曲、ということを示すため、当時分かっていた異国の音楽を取り入れたのではないでしょうか?(なお、映画『不滅の恋/ベートーヴェン』ではベートーヴェンの少年期と関連付けて用いられています)
その後、壮麗な「歓喜の歌」の合唱が入り、更にその後で、新たなメロディーが登場します。「抱擁せよ! この口づけを全世界に!」と歌われる「抱擁」の主題なのですが、なんと伴奏を伴わないシンプルな1つのメロディーです。しかも、教会で使われてきた神聖な楽器であるトロンボーンと共に。ここは厳粛というか神々しさがあり、曲の雰囲気がガラッと変わります。単旋律という古い音楽の形態を持ち出すことで、ここでは「時間」を問わない、つまり「未来」も含有する音楽に感じます。
その証拠にというか、この後では「歓喜の歌」とシンプルな「抱擁」の主題が同時に歌われ展開されます。ここに過去と現在の融合、時間の超越を感じます。
その後、ソリストによる聴かせどころがあり大合唱で幕を閉じます。
というわけで、時空を超えた、人類愛とも言うべき交響曲なのです。この曲が世界で最も有名な曲の一つとして親しまれるのも納得ですね。
第九うんちく
その他、知っておくと話のネタになる第九うんちくをご紹介します。・日本初演は、ドイツ人捕虜により行われた
日本で初めて演奏されたのは、1918年(大正7年)6月1日。徳島県板東町(現・鳴門市)にあった板東俘虜収容所で、第一次世界大戦中のドイツ兵捕虜によるものであったと言われています。このことはブルーノ・ガンツや松平健主演で2006年に公開された日本映画『バルトの楽園』のテーマともなり、広く知られるようになりました。
・年末に演奏する習慣は日本だけ
年末コンサートの代名詞的な第九ですが、実はそうした習慣があるのは日本だけ。日本交響楽団(現在のNHK交響楽団)が年末に演奏し放送したのが広まったと考えられています。海外の方に話すと「あんな大編成の曲をそんなに演奏するなんてすごいね!」と驚かれたりもします。ですので年末とは何の関係もないわけですが、ベートーヴェンの集大成であり、曲が終わった時の満ち足りた気分は、年末の「今年もいろいろあったよね。お疲れ様」感と一致する気がします(笑)。それゆえ、定番化したのではないでしょうか。なお、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団も大晦日に演奏する伝統があります。
・CDの収録時間は第九の演奏時間から決められた
第九の演奏時間は約70分。交響曲第5番「運命」が約35分ですから、いかに大曲であるかが分かります。レコードにかわる記録媒体としてCD(コンパクトディスク)が開発された時、収録時間の上限を決めるにあたって名指揮者カラヤンが「第九を1枚で聴けるといい」と言ったことから74分に決まった、という逸話があります。
というわけで、ぜひ一度じっくり聴いてみてください。ということでオススメの名盤をご紹介します。
ヤルヴィによる現代最高の理知的ベートーヴェン
指揮:パーヴォ・ヤルヴィオーケストラ:ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン
ベートーヴェンが残したメモなどを元に新たに校正された楽譜を使用し、また、今ほどヴィブラートをかけなかった当時の音を意識したピュアな響きを随所で聴かせる新鮮な演奏。指揮は、現在最も注目されていると言っていいパーヴォ・ヤルヴィで、曖昧な点が皆無なキビキビとした演奏。かと言って軽くは聴こえないのがさすが。とにかく知的で美しさも際立つ現代におけるベートーヴェン演奏の最高峰と言えます。
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※パーヴォ・ヤルヴィは2015年9月、NHK交響楽団の首席指揮者に就任しました。
※インタビュー記事:パーヴォ・ヤルヴィ、NHK交響楽団首席指揮者、就任インタビュー
フルトヴェングラーによる、神がかった歴史的名演
指揮:ヴィルヘルム・フルトヴェングラーオーケストラ:バイロイト祝祭管弦楽団
20世紀前半を代表する大指揮者フルトヴェングラーによる第九の決定盤であり、また、クラシックの録音の中でも最も有名な演奏の一つです。1951年の演奏でさすがに音が古く、大げさに思える大時代的な演奏と言えなくもないのですが、それでもやはりとても力を持っていると言いますか、ベートーヴェンの熱い思いが体現されているような、情熱的で心が動かされる名演です。
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人類が生み出した最良の芸術とも言える『第九』。作曲当時、ベートーヴェンは完全に耳が聴こえない状態で、要は頭の中になる音楽として生み出されたことにも驚愕します。若き日より思い続けた熱い思い、窮境でも負けず歓喜を歌い上げる精神力。正に魂の一曲ですね。
初演の際、指揮者の横に控えていたベートーヴェンは演奏が終わっても万雷の拍手に気付かず、ソリストの歌手が観客席を振り向くように促し、やっと自作が大絶賛をもって迎えられたことを知ったと言います。そんなことも思うと感動もひとしおです。ぜひ聴いてみてください。
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