アート作品を撮る
最近のデジカメには「アート」というモードがついています。セピア色やぼんやりした写真を「アートのような」と呼んだりします。「私個人の考えですが、画面に写っているもの以上に何かを感じさせたり考えさせたり、見たひとの中から何かを引き出すようなものが『アート』なのでは、と思うんです」。
井村さんの「アートの写真作品」は、いくつかのシリーズがあります。例えば、右上の《grapefruit moon》は、黒い画面の中央が上下に少しふくらんでいるような形をしています。
「私に限らず、表現者にとって作品ひとつ、写真一点だけで表現したいことを表すのは、とても難しいことです。この作品の下半分、黒い部分は写真で、ピンで引っかいて線を描きこんでいて、上半分の白い部分は、紙に鉛筆で絵のような線を描いたものです。このふたつを組み合わせています。いろいろなことを決めて撮影し、ネガをつくり、プリントする長い作業工程で、試してみたいこともたくさんあり、思っているような作品になるとは限りません。必ずしもアートとしての写真のために、加工をすることが必要ではないでしょう」。
こうした試行錯誤をしながら、井村さんは主にポートレイト(肖像写真)のアートの写真作品を多く手がけています。
「右下の《wonderwall》は、もともとある風景をカキワリのように見立てた中に、私自身を入れ込み、セルフタイマーで撮影したシリーズで、この作品は『obscura』というタイトルがついています」。
アート作品の味わい方
不自然な格好が「とてもアート的」に感じるこの作品、どう見たらいいのでしょうか? どういう部分がアートなのでしょうか?「ただ見ているだけでは、漠然と『アート的』と感じるだけでしょう。でも何が写っているか、よく見てください。写っている東京電力のマークに『批判』と捉えることもできます。『見えない顔が誰なのか?』が気になるかもしれません。タイトルが『sleep』や『真夜中』、もしくは『女』、『出来事』などだったらどうでしょう。」
「写真を撮ることで何かを残したい、とか、絵を描くことで何かを表現したい、といったことは、人間の欲望や衝動による行為を比較的純度の高い状態で見ることのできるフィールドだと思います」。
【展覧会・イベント情報】
写真集「lapse」を、2013年11月に出版しました。
詳細はこちら。
井村一巴(いむら・かずは)
1980年生まれ。高校時代から写真を撮影していたが、大学ではフルートの演奏を学ぶ。現在はアート系ギャラリーで展覧会を開いたり、アートフェアに参加するなどの活躍をしている。ホームページはこちら。