未来を読もうとする努力で「先読み」ができるようになる
先読みができない人は……
わからないからといって、何の準備もなしに突っ走ると、いざ壁や傷害にぶつかったとき、慌てるしかありません。しかし、行く先に何があるか、何が起こるかを想像し準備しておけば、対応することができます。仮に何も起こらなかったとしても、それはそれで「よかったね」と安心できるでしょう。
先を読もうとする予見力とは、将来起こることを確実に予想することではなく、将来起こりうる変化やその方向性を想像する力であり、そうしようとする姿勢です。
ただし残念ながら、明日の株価がどうなるかとか、為替レートがどうなるかまではわかりません。どの馬が勝つか、どの台が出るか、どの宝くじ売り場でアタリが出るかもわかりません。しかし、どの銘柄が上がるかはわからなくても、どの市場のどのセクターが伸びそうかということは想像することができます。
あるいは職業の選択でも。たとえば今後はこの業界が伸びそうだ、という予測があれば、その業界に転職するという選択肢ができます。こんなニーズが高まりそうだ、という予測があれば、それに関連したビジネスを手がけるという選択ができます。
逆に、このビジネスは今後は需要が減退しそうだという予測があれば、いち早く事業構造を転換しようなどと、手を打つことができます。
予見力が乏しい学生は(もちろんそうじゃない人もたくさんいます)、どうしても今話題になっている企業や知名度で就職先を選びがちです。就職人気企業ランキング上位企業は、実はそのときがピークだった、ということもあります。
また、予見力とは、ただ想像するだけではなく、自ら未来を創り出す意志でもあります。なぜなら、未来を予測し、その方向性に確信が持てたなら、それを自分で実現したくなるものだからです。
たとえば私は、2011年3月の震災及び原発事故が起こったとき、投資家や事業家の層を中心として、「海外移住」や「居住地の分散」がひとつのうねりになると考えました。
そして、マレーシア情報を発信し始めたところ、「自分も興味がある」「紹介してくれないか」という声が集まり、私の仕事のひとつとなったのです。そして今や、マレーシア不動産投資やマレーシア移住が、ちょっとしたブームになっています。(ブームはある意味危なっかしいのですが)
そうやって、他人の動きを見てから「自分もそうしよう」よりも、「世の中がこうなると思ったから、自分が真っ先にやってみた」という方が楽しいものです。つまり予見力は、ただ未来を予測するということにとどまらず、自分で考えた未来を自分自身で創るという、自分の将来を切り開く意志でもあるのです。
日常生活でも、「電力会社の対応は許せない」「なんでボーナスが出ないんだ」「政府の対応はけしからん」などと他人のせいにすると、自分の人生は他人に支配されているようなものです。
でも、「いや、きっとそうだろうと思っていたよ」と対処するほうが、人生のハンドルを自分で握っている、ハンドリング感が持てます。それはすなわち、他人からの負の影響を極力排除するということです。もちろん全部排除することはできませんが、人生を自分で支配している感じになり、心が安定します。
環境を言い訳にせず、予測しつつ代替案を持っておけば、仮に不測の事態が起こっても、他のことはすでに想定済みなので、その問題に集中することができます。あるいは、それすら想定の範囲内ととらえてアウトプットしよう、という意識を持っておけば、変化すら自分のネタとして取り込んでしまえます。
そうした姿勢を持っていれば、仮に予測不能な出来事に足元をすくわれそうになっても、活路を見出すことができるのではないか、と考えています。
(参考)
「なぜビニール傘を3本以上持っている人は貧しいのか?」(ぶんか社)