「子どもは人質」
噂好きな母親たちの好奇心は、やがて裏返る
有り余る日中の時間を利用しての「お茶会」や「親睦ランチ」に、Aちゃんのお母さんは出て来ない。診療時間中だ。出て来れるはずがない。毎回丁寧なお断りのメールを入れても、ともすれば「本当はみんなが一番話を聞いてみたい人」が招いても一向に来ないと、溢れる好奇心はやがて見事に裏返る。
「ねぇねぇ、Aちゃんのママって……どう思う?」
「うーん、よく分からない。お付き合いがないものね。もっとも、お忙しいんでしょうけど」
「自分は女医で、普通のママとは違うってことなのかもしれないわね」
「掃除とか洗濯とかしないんですって。通いの家政婦さんがしてくれるんですって」
「そりゃ、主婦をバカにもするよねーきっとー(笑)」
「でも、Aちゃんのお弁当だけは自分で作るんだって」
「やだぁー、ご立派じゃなーい。その意識の高さ、見習わなきゃー」
本人不在の欠席裁判は、事実とは異なるウワサや断定、思い込みを飲み込んでどす黒い感情を膨張させていく。幼稚園という場所がトラブルの醸成器とされるのは、子どもたちが幼い上に、母親たちも親キャリアが浅く未熟で、しかも「ヒマ」ゆえだ。子どもの成長上起こりがちなトラブルを、母親たちが自分の問題として真っ正面から受け止めてしまい、逃げられない。母親と子どもの人間関係が大きく重なる幼稚園生活を送ると、子どもは「ママ友関係」の人質となる。
充実した人生に開けられた、黒い落とし穴
やがてAちゃんは、クラスでも目立つ存在であるがゆえに幼稚園の中で鼻つまみ者にされていった。もちろん他の母親たちもそこはさすがに巧みであり、明らかな仲間はずれなどにはしないが、「お誕生日に呼ばない」「集まりがあるのを知らせない」など「空気」を操り、幼稚園の先生にも「Aちゃんのわがままで子どもたちがとても迷惑している」「Aちゃんがわがままなのは、きっとお母様がきちんと子育てをしていないせい」という視点を共有していった。Aちゃんのお母さんは、何も言っていないし何も悪いことなどしていない。ただ忙しかっただけだ。自分と娘が幼稚園の母親たちにさんざん腐されていることも全く気づかないほど、仕事にも家庭にも、自分の人生全般に、忙しかった。
日々の診療に追われるAちゃんのお母さんがようやく幼稚園で起こっていた事実に気づいたのは、それから2年も経ってからだった。いつも気丈なAちゃんが登園したがらず、登園しても午前中に「Aちゃんがお腹が痛いと言っているので、迎えにきて下さい」と連絡があって、おばあちゃんが迎えに行った。自宅に帰ったAちゃんが泣きながら話したのは、クラスの女の子たち全員に話しかけても無視されるという、6歳児にはあまりにも残酷な日々の仕打ちだった。その人間関係を保持したままエスカレーター式に持ち上がる学園を、Aちゃんは自分のお母さんの卒業校であるにも関わらず、辞めた。