さんまの美味しさを知らずに生きてきた殿さまの転機!?
北の海にいたさんまが秋の深まりにつれて次第に南下し、千葉県の銚子沖で獲れるころには脂が乗りきって、塩焼きが最高に美味しい食べごろに。しかし、さんまは庶民的な食べ物として「下魚」と呼ばれ、殿さまの口に入ることはなかったそうです。そんな殿さまが、家来を引き連れた野がけで、江戸の目黒を通りかかったところ、漂ってくる今まで知らなかった何ともいいにおいに鼻をひくつかせます。それが「さんま」という魚を焼いているにおいだと知った殿さま、「町人に食べさせる下魚は、お殿さまの口に入るものではありません」と慌てる家来に「ひかえろ!」の一喝。殿さまは、農家のたき火の中で直接焼かれた、真っ黒こげのさんまを味わうことになりました。それが美味しいのなんのって!
募るばかりのさんまへの思い
これが、殿さまの人生観をも変えそうな大きな体験に。「殿さまの口に下魚を入れさせてしまったことがばれたら大変」とビクビクする家来たちを前に、屋敷に帰ってからも忘れがたい美味しい思い出を封印しようとする殿さまなのですが、さんまの美味しさの魅力に打ち勝つことはできませんでした。ある日、親戚のお屋敷に出かけ、何が食べたいか聞かれた殿さまは「余は、さんまが、たべたい!」。はて、殿さまのような方がなぜさんまの存在をご存知なのか、と親戚や料理人は悩みますが、「まったなし」の状態に、さんま料理が振る舞われることに。
ようやくさんまに再会したと思ったら……
望み通り、殿さまの前にはさんま料理が登場し、再びさんまを味わえることになりました! しかし、殿さまの記憶に鮮明な「黒く長やかなるもの」ではなくて、「白く丸やかなるもの」が登場。殿さまの体を考え、その日の朝に銚子沖で獲れたピチピチのさんまを、手間をたくさんかけて調理する料理人の努力。これもまた、美味しそうなさんま料理ではあるのですが……。殿さまは正しい!
「さんま料理」ではなく、「さんま」が食べたかった殿さま。においはあの恋焦がれていたさんまそのものなのに、全く異なる期待外れの味わい。殿さまは、自分の経験をもとに、さんまについてのこだわりを自信たっぷりに叫ぶことになるのですが、その叫びにずっこける周囲の人たち。人は基本的に、自身の経験の中で生きています。様々な情報があふれる現代でも、それは同じではないでしょうか。置かれた立場柄、世間知らずにならざるを得ない殿さまが、その事実に薄々気づき、精いっぱいの知ったかぶりで叫びを上げる様には、拍手喝さいを送りたくなります。自分の殻を1つ破った殿さまです。
表紙には、得意げな表情でピンと身の張った秋刀魚を片手に握った殿さま。この殿さまには、刀よりも秋刀魚が最高に似合います!