歴史とロマンの島、伊是名島

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空から見た伊是名島全景。青と山の緑のコントラストが美しい 写真提供: 沖縄観光コンベンションビューロー

沖縄本島北部、本部半島の北、辺戸岬の西約30kmに浮かぶ伊是名島。沖縄の離島の中でもあまり観光化されていない島なので、初めて耳にするという人もいるかもしれませんが、沖縄国王第二尚氏の始祖庄円の生まれた島として沖縄の歴史には必ず出てくる島です。沖縄の人々の間では歴史と伝説が多く残る島として知られています。また、版画家の名嘉睦稔氏の出身地でもあるので、そう言われれば「ああ」と頷く人もいるかもしれませんね。

伊是名の北にはもうひとつ似た名前の伊平屋島があり、この2島を合わせて伊平屋伊是名諸島と呼んでいますが、今回は南に位置する伊是名島のお話をしたいと思います。


伊是名島の概要&アクセス

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運天港から毎日2便運航されているニューいぜなには伊是名のシンボル尚円王の姿が

伊是名島へ行くためには、本部本島の付け根に位置する運天港から船に乗ります。船は毎日2便運航されていて、約1時間で島の東側にある仲田港に到着します。伊是名島の北側には1970年までは人々が暮らしていた具志川島が、南には屋那覇島、仲田港の沖に浮かぶ降神(うるがみ)島の3つの無人島があり、伊是名島と合わせたこの4島が伊是名村に制定されています。
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田畑が広がる伊是名の風景。3000年も昔から人々が生命の営みを繋いできた地であることに驚きます

周囲約16kmの伊是名島は、島の南東から北西へ向けて山々が連なり、集落は山の裾野から港のある東部と西部の海岸線へつながるように位置しています。資源豊かなこの島では、古くから稲作が行なわれ、海の恵みと山の恵み両方が揃う豊潤な島であることが知られています。有名な具志川島の貝塚をはじめ、伊是名島界隈では今から2500年~3000年前の沖縄貝塚時代の前半時期の貝塚や、人骨、土器類などの遺物が多く出土していますが、それはこのエリアが大昔から人類にとって住みやすい地であることを物語っています。琉球王府時代には、伊是名と隣の伊平屋両島は琉球王統発祥の地として王府の直轄領とされていたことから、聖域も多く、それにまつわるお話も多く残ることから歴史とロマンの島とも呼ばれています。


伊是名島ってどんな島?

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知れば知るほど面白い伊是名島のアレコレ

伊是名島を語る時に必ず聞くのが「イヒャジューテー」という言葉。これは伊平屋の人は情け深いという意味で、昔から伊是名島では漁などの収穫物を分け隔てなく分け与え、島外からの来訪者に食事を振る舞い、という伝統精神が深く島民の心に根付いていると言われています。実際、伊是名島を旅していると、島の人たちから気軽に声をかけられ、すぐに「どこから来たの?」などという会話が始まります。これは伊是名島に限らず沖縄全体に言えることですが、その中でも特に、伊是名の人々は気軽に旅行者に声けしてくれるような印象です。そして、「お昼ご飯は食べた?」というように、初めて会った人の食事の心配をすぐにしだしたりするあたりに、なるほど、という気がします。

ガイドが思うに、この「イヒャジヒューテー」は、この島が昔から豊かな島であることを物語っているのだと思います。小さな島ながら、山があり、新鮮な湧き水があり、お米を作ることができ、海に行けば天候が許す限り何かしら魚介類を獲ることができるこの島の自然環境は、沖縄の離島において非常に恵まれていると言えるでしょう。もちろん、離島の生活は厳しく、けっして楽なものではありませんが、その厳しい状況にありながらも、昔からなんとか人に分け与えられるだけのものを獲ることができる島だったということでしょう。

そして、そんな「イヒャジューテー」の伊是名島は、現在日本一の子宝の島でもあります。少子化が進む我が国において、3人、4人は当たり前。中には7人兄弟もいるというから驚きです! 美しい自然に囲まれて文字通りのびのびと暮らすことができる伊是名島。子供は島の宝と、島人たちが子供たちの未来に期待をかけ、大切に慈しんでいる様子がとても印象的で、都会では希薄になってしまった人と人との繋がりや、人と地域との繋がりがごくごく普通にそこにある島なのだということを改めて実感することでしょう。