収入の高い人がモテるのは、生存本能が働いているから!?
私は以前は「愛はお金では買えない」と思っていましたが、どうやら買える時代になってきたようです。お見合いマッチングサイトや結婚相談所で人気を集める男性は、学歴や容姿のいい人ではなく、年収の高い人だそうです。中国では、一人っ子政策に加え、男の子を希望する産み分けが進んだ結果、結婚適齢期の男性が多く、結婚できない男性が増えて社会問題になると懸念されていますが、中国の友人に聞くと、収入の多い男性から結婚でき、収入の低い人ほど嫁がもらえないという現象が起こっているそうです。
これは新興国ほど顕著で、たとえば東南アジアでも、女性は色白がモテるそうですが、男性はお金持ちがモテるそうです。カンボジアでもフィリピンでも同じことを聞きました。
こうした話を聞くと、「愛はお金で買える」側面があるということに気がつきます。日本でも「年収200万円だと結婚もできない」といわれますが、これもお金がなければ愛は得られない、つまり愛もお金で買えるということを示しています。
「それは本当の愛じゃない」といわれそうですが、では「本当の愛」とは何か。お見合いや結婚相談所で結婚したカップルは、愛を育めないのでしょうか。「収入が多い人=能力が高い人=生き残る力がある人」と考えれば、そんな人の子孫を残したいと女性が考えるのは、生物としてまっとうな生存本能かもしれません。
愛とお金は同列の概念
結局、「お金で愛は買えない」「お金は万能ではない」という人は、「そうあってほしい」という願望があるのでしょう。私はお金のほうが大事だなどといったことはありませんが、なぜか「いや、お金よりも愛のほうが大事だ」といわれることがあります。なぜ比べたがるのでしょうか。
そもそも、お金と愛は対立概念ではありませんし、貧乏人が愛にあふれ、お金持ちは愛に乏しいともいえないでしょう。
犯罪の多くはお金がないことによって引き起こされますし、世界を見渡しても治安が悪いのはスラム街など貧しい地域です。日本は年間3万人以上が自殺をする世界ワースト3位の国ですが、自殺をする中高年の多くは、無職です。離婚率はお金持ちより貧乏な家庭のほうが高いのです。
お金がなければ、家賃も払えず食費もままなりません。でも、稼げば家族を守ることができる。お金があれば、人生に絶望するような状況に直面する機会はぐっと減るでしょう。どちらの環境を与えることが、家族に対して愛があるといえるでしょうか。
お金を稼ぐことも家族への貢献と考えれば、愛とお金は対立概念ではなく、限りなく同義語に近いことがわかります。
「愛はお金で買えない」は言い訳や嫉妬にすぎない
ではなぜここに愛を持ち出す人が出てくるのか?これは憶測ですが、お金持ちを批判するための材料が、愛とか友情とか、そういう抽象的概念しかないからかもしれません。誰も否定できないものを持ち出せば、お金持ちに対して優位に立て、自尊心が維持できる。結局は、稼げない自分を正当化させたい人の言い訳、稼いでいる人への嫉妬でしかない可能性があります。
確かに無人島で生き伸びるにはお金は役に立ちません。お金よりも浄水器やライターのほうが大事です。戦争や内戦などで命の危機にあるときには、銃や格闘術を持っていることのほうが重要になります。
しかし、資本主義社会で、しかも治安のよい日本で生きる私たちに、その優先順位があてはまるのか(ただし、昨今は戦争リスクが高まっているように感じます)。
もしご主人が、「貧乏でも家族がいつも一緒ならいいよね」と会社に辞表を出して無職になって帰ってきたら、「あなた、ステキ!」と喜んでくれる奥様はいるでしょうか。