フランス車と外国車の戦い
いきなり英国車のベントレーをご紹介したが、1923年の第1回大会の優勝車はフランス車のシュナール&ワルケールだった。平均速度は時速約92kmと今とは比べ物にならない程の低速だが、黎明期のルマン24時間はプロダクションカー(市販車)によるレースであり、自動車メーカーが「走る実験室」の意義を見いだして公道を駆け抜けたことは、後の自動車技術の発展に大いに貢献することになったといえる。1923年、ファーストウイナーとなったフランスのシュナール&ワルケール・3Lスポーツ。ドライバーもフランス人、足元を支えたのもフランスのタイヤメーカー、ミシュランだった。フランスのナショナルカラーが印象的な美しいマシン。
黎明期にフランス車に挑んだのはイギリス車だけではない。イタリアのアルファロメオも忘れてはならない存在だ。2013年のルマン24時間レースでは90周年を記念し、ACO会員により年代別の人気投票が行われ、1930年代の人気車両として「アルファロメオ8C 2300」が選ばれた。アルファロメオはベントレーの4連勝の後、1931年~1934年まで4連勝を飾っている。
1930年代前半を席巻したアルファロメオ8C 2300。2.3Lスーパーチャージャーエンジンを搭載した車両には大戦前のスーパースター、タッツィオ・ヌボラーリもドライブし、ヌボラーリは1933年に優勝している。この車両は1931年の優勝車。
ルマン24時間は労働者のストライキなどによる情勢混乱で1936年の開催を中止している。それまでの大半を席巻したのはイギリス車とイタリア車。しかし、1937年の覇権を争ったのはフランス車だった。この年から前方2座席のみが義務づけられた車両規定になり、スポーツカーの時代が幕を開ける。流線型のフォルム、ストリームライナーボディを持った「ブガッティType 57G Tank」が優勝を飾り、ブガッティは1939年にも優勝。第2次世界大戦前の最後の3年間はフランス車が復権する事になった。
戦後は百花繚乱のスポーツカー時代
1940年~1948年までの9年間、ルマン24時間レースは大戦でレースを休止する。そして49年に再開し、現在まで連続開催を続ける事になるわけだが、大戦後のルマンはフェラーリ、メルセデス、アストンマーチン、ジャガーといった世界各国のスポーツカーが鎬を削る。イタリアのミッレミリア、タルガ・フローリオと並んで重要な舞台として位置づけられた。中でも1950年代に5勝をあげる活躍を見せたのは英国のジャガー。自動車初のディスクブレーキを採用し、英国車の歴史で欠かせない存在である「ジャガーDタイプ」は1955年~57年まで3年連続で優勝している。
サポートレース「ルマンレジェンズ」を走ったジャガーDタイプ。オールアルミボディ、風洞実験よって生み出されたエアロダイナミクス。間違いなくこの時代ナンバーワンに美しいクルマだ。
またこの時代、ドイツ勢の活躍も忘れてはならない。メルセデスは戦後も積極的にF1やスポーツカーレースに挑戦、1952年に「メルセデスベンツ300SL」で優勝を飾るも、1955年には80人もの犠牲者を出す事故を起こし、以後長きに渡りレース活動を休止する事になった。
ポルシェ904(ポルシェカレラGTS)。 日本では第2回日本グランプリに登場し、スカイラインと対決したことでもお馴染みのマシン。シルバーはドイツのナショナルカラー。
対象的にこの時代に排気量が小さめのクラスで戦い、レースで培ったノウハウを市販車にそのまま応用し、スポーツカーメーカーとしての礎を築いたのがポルシェだ。1964年には「ポルシェ904」を投入し、いきなりクラス優勝も飾っている。この後、ポルシェは総合優勝をかけたプロトタイプカーでの挑戦を行っていくことになる。
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