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ノーヒットノーラン逃したロッテ・古谷の惜しい快投

「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるとしたら、それはまだ努力とは呼べない」とは、王貞治氏の名言だが、ロッテの古谷拓哉投手にとって、5月26日のオリックス戦が、まさに努力が報われた試合となった。

瀬戸口 仁

執筆者:瀬戸口 仁

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先発として投げるチャンスをもらい、勝てたことに満足のロッテ・古谷

遅れてきたシンデレラ・ボーイは、これから運が味方してくれるであろう野球人生を迎える

遅れてきたシンデレラ・ボーイは、これから運が味方してくれるであろう野球人生を迎える

「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるとしたら、それはまだ努力とは呼べない」とは、王貞治氏の名言だが、ロッテの古谷拓哉投手(31)にとって、5月26日のオリックス戦が、まさに努力が報われた試合となった。

古谷は今季、開幕から二軍で、この日が初登板。先発となると、2006年8月30日以来、7年ぶり、2492日ぶりプロ2度目だった。それがまさかまさかの快投を演じる。八回二死から高橋信に四球を与えるまでパーフェクト。九回も二死走者なしとなり、打席には坂口が立った。その坂口に、この日7度目のフルカウントに。ノーヒットノーランにあと1球。そして、古谷が投じた134球目は三塁打となって右中間を抜けていった。

「期待させてすみませんでした。安打を打たれるのはしょうがない。次、また頑張ります」

周囲は大記録を逃したことでガックリしていたが、当の本人はプロ初完封を記録したこともあり、いたってサバサバしていた。ノーヒットノーランよりも、先発として投げるチャンスをもらい、勝てたことで満足だったのだ。

波乱万丈な野球人生である。駒大岩見沢高校3年の夏、エースとして南北海道大会決勝に進んだが、自らの暴投で北海高校にサヨナラ負けを喫した。そのショックが尾を引き、進学した駒大では当初、軟式野球サークルに所属し、硬式から遠ざかった。1年の秋から硬式野球部に入り直したが、通算20試合に登板して1勝(7敗)のみ。社会人野球の日本通運へ進んだが、パッとしなかった。

しかし、2005年に1度だけ出場した都市対抗での投球が当時のボビー・バレンタイン監督の目に留まり、2005年の大学・社会人ドラフト5巡目でロッテに指名された。プロには入ったが芽が出ない。サイドスローに変えるなど試行錯誤を繰り返したが、2009年までに一軍登板はわずか5試合。2010年シーズンで結果が出なければ、打撃投手になってもらうと球団から通告されてしまった。

その2010年に中継ぎとして58試合に登板し、首はつながったが、一軍への定着はできず、迎えた2011年秋季キャンプ、新任の斉藤明雄投手コーチから「短いイニングだとお前は力む。先発して長いイニングを投げた方が力が入らない」と言われ、運命が変わった。今シーズン初めは二軍だったが、先発左腕が不足しているチーム事情が古谷に追い風となった。

あと1人でノーヒットノーランをフイにしたのは2009年7月10日の多田野(日本ハム)以来22人目(24度目)、ロッテでは1965年7月15日の小山正明、1983年8月20日、1984年5月29日の仁科時成に次ぐ3人目(4度目)となるが、大記録を達成できなかった方がファンの記憶に残ることがある。また、古谷は今季、5月30日のイースタン・リーグ、DeNA戦(平塚)でノーヒットノーランを達成、一軍でも達成していたら、43年ぶり2人目の快挙だったが、それもあと1球で夢と消えた。それだけに、なおさら「古谷」という名前は印象に残った。

プロ8年目の31歳。遅れてきたシンデレラ・ボーイは、これから運が味方してくれるであろう野球人生を迎える。
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