江戸時代には風雅な別荘地、
朝顔で全国的に有名に
徳川家康入府の頃、隅田川西側のかつて浅草区、下谷区と呼ばれていた地域には千束池と呼ばれる巨大な沼地がありました。現在の台東区千束の辺りを中心に、深いところでは20mもあったという広大な池は以降、順次干上がり、また埋立てられ、現在の姿に。今回取り上げる東京メトロ日比谷線入谷駅(台東区)は日比谷線の走る昭和通りを境に東に入谷、竜泉、西に下谷、根岸といった町がありますが、そのうち、下谷の一部まではかつて池だったところと考えられます。
その後、江戸時代の入谷から根岸にかけては浅草などの商家の寮(今でいえば別荘)などが点在する風流の地でした。明治の劇作家、河竹黙阿弥の代表作に「天衣粉上野初花」(くもにまごう うえののはつはな)という、幕末の悪い奴ら列伝といった趣の作品があるのですが、そのうちの一幕に入谷が舞台になったパートがあります。御家人くずれの主人公が恋人である花魁が療養する遊女屋の寮を訪れるという場面なのですが、入谷は浅草に近いため、ここまでは店や寮もあるものの、この先は奥州へ向かう街道があるのみという説明があり、当時の入谷をほうふつとさせます。舞台に登場するような風雅な建物が点在していたのだとすると、ちょっとした別荘地の風情だったのではないでしょうか。
根岸は「江戸名所図会」に「呉竹の根岸の里は上野の山陰にして幽趣あるが故にや。都下の遊人多くはここに隠棲す」と書かれるほど、画人、文人に好まれた場所で、画家酒井抱一や、洋画家であり、書家でもあった中村不折、作家夏目漱石、俳人正岡子規などが居住しています。ただ、残念ながら根岸については往時の面影はほとんど残されていません(江戸時代の根岸は隣接する荒川区東日暮里までを含む)。
このエリアが有名になるのは江戸末期の文化・文政以降の朝顔の流行がきっかけとなっています。江戸時代はご存じのように、園芸やペットの品種改良などに励む趣味人が多かった時代で、そのうち、朝顔は変種を生み出しやすいことから、今からは想像もつかないほど栽培人口がいたのだとか。最初は御徒町界隈の下級武士、御徒目付の間で栽培されていたものを入谷の植木屋さんが手掛けるようになり、その出来栄えの素晴らしさが評判になって見物させるようになったといいます。ちなみに、当時の主流は、現在のような円形のものではなく、これが朝顔か!と驚くほど変わった形の変化朝顔で、最盛期には1000種類ほどもの変化朝顔があったとか。今でも一部には愛好者がいます。
早朝から賑わう朝顔市。宅配便でも送ってくれるから大量に買い込んでも大丈夫
また、この地は江戸城の鬼門に当たることから、多くの寺社が建てられており、街のそこかしこに寺社があります。有名なのは朝顔市の中心地となっている、江戸の三大鬼子母神のひとつ、入谷鬼子母神(真源寺)でしょうか。朝顔人気に加え、江戸時代、文人大田蜀山人作といわれる「恐れ入谷の鬼子母神」という地口(駄洒落)が流行ったことから、広く知られるようになったものです。また、昭和50年代に始まった下谷七福神巡りも人気で、1時間半ほどで巡れるとあって正月にはご利益を求めて歩く人の姿を多く見かけます。ちなみに三大鬼子母神とは入谷、雑司ヶ谷、中山(市川市)。江戸のと言いつつ、市川が入っているのがちょっと不思議です。
この街のもうひとつの大きな特徴は戦災で焼け残ったということです。近くの浅草が壊滅的な被害を被ったことを考えると、奇跡と言っても良いかもしれません。そのため、このエリアには戦前の建物なども多く残されており、街並みに深みを与えています。最近ではこうした風情のある建物を生かして、今風の店に作り直すことも行われるようになっており、以前、「古民家暮らしができる街はどこ?」で取材させていただいた入谷プラスカフェなど、休日には遠方からも訪れる人がいるような人気店も生まれてきています。
続いて東京メトロ日比谷線入谷の街の様子を見て行きましょう。