テレビキャスターとしてキャリアをスタート
ガイド:こんにちは、オリガ! キエフに訪れるのは、これで2回目となります。
オリガ:
今にキエフに訪れるのはあなたの習慣になるでしょう。
ガイド:
キエフはとても愛すべき街なので、たぶんそうなるでしょう。先ずは最初の質問から行きます。あなたは歌手としてのキャリアがありますが、同時に「M1」等の音楽番組のテレビ・キャスターでもあるんですよね。
オリガ:
「M1」はただの短編番組なの。
ガイド:
キャスターとして最初にキャリアを始めたのですか? どのようなきっかけで?
オリガ:
ウクライナでは大きな「Inter」というテレビ局でキャスターとして始めたの。そこで10年ほど働いたわ。私は、最も人気のある音楽番組と音楽祭をホストしていたの。番組は、週に1回。月に1回、「Songs of the Year」という音楽祭の生中継もやっていたわ。
ガイド:
小さな頃、何になりたかったのですか?
オリガ:
私はたいした野望は持っていなかったわ。ドイツ語に特化した学校で勉強していたから、ドイツ語の先生か教授になっていたでしょう。だから、ドイツと外国文学を専攻して大学を卒業したの。生徒たちは、ウクライナの違う街の出身。私はクリヴォィ・ロク出身。工業都市で、ファッションにも芸術にも音楽にも縁がないわ。大学に在学中に仕事を探していたの。ラジオでエンターテイメントについて話せる若い人を捜しているというのを聴いたの。そこに訪れたところ、1週間ほどしたら、ウクライナで一番大きな局に私は居たの。お父さんにInterテレビで明日、私の番組を見ないといけない」と言ったのだけど、お父さんは「もちろん、それはいいけど、あなたは職業となる仕事を見つけるべきだ」と言われたの。両親は、真面目な仕事だとは思っていなかった。
ガイド:
ということは、両親は全然喜んでくれなかったですね。
オリガ:
10年で、私は一番人気のあるエンターテイメント・キャスターになって、ベスト音楽祭ホストとして賞を貰ったのに。その時期、ちょうど音楽のキャリアに進むことにも決めたんだけど、私の家族には、「そんな恥ずかしい事はしてほしくない。歌わないでほしい」と言われたわ。
ガイド:
本当に? どうしてなんでしょう?
オリガ:
思うに、両親は私の事を分かっていない。だから、彼らには私はとても奇妙な存在だったの。お父さんは科学の教授で、ショービジネスは門外漢。