テクノポップ/アーティストインタヴュー

名古屋発PVLNからHIKOS!まで(3ページ目)

ピヴィレヌ(PVLN)の元メンバー。その後、原爆オナニーズ、HIKO’Sを経て、現在はHIKOS! として活動するHIKOさんに登場して頂きます。 謎の名古屋シーンをひもとく上でも大変興味深い話が聞けました。神戸テクミーでの対談の様子をここに記事にしました。

四方 宏明

四方 宏明

テクノポップ ガイド

テクノポップを中心としたレコード蒐集癖からPOP ACADEMYを1997年に設立。2016年に『共産テクノ ソ連編』を出版。さらに、プロダクトリサーチャーとして、商品、サービス、教育にわたる幅広い業種において開発コンサルティングに従事。Twitter(hiroaki4kata)も随時更新。

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原爆オナニーズの結成秘話

ガイド:
HIKO’Sに平行する形で、HIKOさんは、有名なパンクバンド、原爆オナニーズのオリジナルメンバーでもあったんですよね。こちらは、The Star Clubのメンバーが多かったんですよね。名前の由来や結成秘話とかあれば、教えてください。

HIKO:
ピヴィレヌを辞めて、The Star Clubのメンバーとも付き合いがあったもんですから、そこから3人とバンドを組んだんです。また、変なことを考えて、それぞれがリーダーになって、それぞれのバンドを作ろうぜということになったのです。僕がやる時は、HIKO’S。リョウ君がやるバンドは、バリバリのパンクにしようということになっ て、僕とリョウ君で名前を考えていたんです。ものすごくインパクトのある名前にしようと。僕が、「原爆」と言ったら、リョウ君が、「オナニー」かなぁって。オナニー原爆ではおかしいから、原爆オナニーズにしようと。だから、ツアーに行くと、4人で4つのバンド演奏が出来ました。

ガイド:
原爆オナニーズをよく知っている訳ではありませんが、名前にインパクトがあるから覚えてしまうんですよね。この手の名前の先駆けですよね。

HIKO:
その点は負けていないと思います。

ガイド:
その後、脱退されたのですか?

HIKO:
いや、自然消滅に近いです。徳間ジャパンからデビューという話もあったんですけどね。リョウ君がスターリンに引き抜かれたり、いろんなことがありました。

ガイド:
でも、メンバーが変わって活動は続いたのですか?

HIKO:
原爆は他の人達に引き継がれたのです。名前を譲ってくれと言われて、じゃ、「THEをつけてどうぞ」ということになったそうです。

HIKO’Sとしての活動

ガイド:
今回のHIKOさんにまつわる音源は、レコゲバさんに提供して頂いたのですが、HIKO’Sとしては、「オーベビーすさんできたね!」や「ヴァイヴレーション」がありますが、どのような形でリリースされたのですか?

HIKO:
hikos

HIKO'S

ELLレーベルから3曲入りで。ELLのオムニバス盤にも2曲、入っています。それを全部持っているスウェーデン人(上記 HABIT OF SEX の管理人)がいて、僕の持っていないのもコレクションとして持っているんです。

 

キース・バラットとの出会い

ガイド:
HIKO’Sと原爆オナニーズとしての活動後、ヒコ&キースとして活動されますが、キースさんとは、どのようなきっかけで?

HIKO:
キース・バラットという人で、背が凄く高くて、リズムボックスとか使って、一人でクネクネ踊りながらライヴをやっていたんです。意気投合して、一緒にやろうかと。

ガイド:
ヒコ&キースとしては、リリースされたのですか?

HIKO:
seppun

接吻

キース・バラットとしてのシングルを2枚、手伝いました。それも持っているんですよ、スウェーデン人(笑)。ちなみに、これも勉強部屋で録ったんです。

 


ガイド:
勉強部屋、大活躍ですね。HIKOS!として、2011年に約27年の歳月を経て、再始動となったわけですが、その訳は?

 

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