原爆オナニーズの結成秘話
ガイド:HIKO’Sに平行する形で、HIKOさんは、有名なパンクバンド、原爆オナニーズのオリジナルメンバーでもあったんですよね。こちらは、The Star Clubのメンバーが多かったんですよね。名前の由来や結成秘話とかあれば、教えてください。
HIKO:
ピヴィレヌを辞めて、The Star Clubのメンバーとも付き合いがあったもんですから、そこから3人とバンドを組んだんです。また、変なことを考えて、それぞれがリーダーになって、それぞれのバンドを作ろうぜということになったのです。僕がやる時は、HIKO’S。リョウ君がやるバンドは、バリバリのパンクにしようということになっ て、僕とリョウ君で名前を考えていたんです。ものすごくインパクトのある名前にしようと。僕が、「原爆」と言ったら、リョウ君が、「オナニー」かなぁって。オナニー原爆ではおかしいから、原爆オナニーズにしようと。だから、ツアーに行くと、4人で4つのバンド演奏が出来ました。
ガイド:
原爆オナニーズをよく知っている訳ではありませんが、名前にインパクトがあるから覚えてしまうんですよね。この手の名前の先駆けですよね。
HIKO:
その点は負けていないと思います。
ガイド:
その後、脱退されたのですか?
HIKO:
いや、自然消滅に近いです。徳間ジャパンからデビューという話もあったんですけどね。リョウ君がスターリンに引き抜かれたり、いろんなことがありました。
ガイド:
でも、メンバーが変わって活動は続いたのですか?
HIKO:
原爆は他の人達に引き継がれたのです。名前を譲ってくれと言われて、じゃ、「THEをつけてどうぞ」ということになったそうです。
HIKO’Sとしての活動
ガイド:今回のHIKOさんにまつわる音源は、レコゲバさんに提供して頂いたのですが、HIKO’Sとしては、「オーベビーすさんできたね!」や「ヴァイヴレーション」がありますが、どのような形でリリースされたのですか?
HIKO:
ELLレーベルから3曲入りで。ELLのオムニバス盤にも2曲、入っています。それを全部持っているスウェーデン人(上記 HABIT OF SEX の管理人)がいて、僕の持っていないのもコレクションとして持っているんです。
キース・バラットとの出会い
ガイド:HIKO’Sと原爆オナニーズとしての活動後、ヒコ&キースとして活動されますが、キースさんとは、どのようなきっかけで?
HIKO:
キース・バラットという人で、背が凄く高くて、リズムボックスとか使って、一人でクネクネ踊りながらライヴをやっていたんです。意気投合して、一緒にやろうかと。
ガイド:
ヒコ&キースとしては、リリースされたのですか?
HIKO:
キース・バラットとしてのシングルを2枚、手伝いました。それも持っているんですよ、スウェーデン人(笑)。ちなみに、これも勉強部屋で録ったんです。
ガイド:
勉強部屋、大活躍ですね。HIKOS!として、2011年に約27年の歳月を経て、再始動となったわけですが、その訳は?