演歌・歌謡曲/外国人歌謡の歴史

戦前を彩った歌声の架け橋 李香蘭と永田絃次郎 後編(2ページ目)

今回は戦前の歌謡曲シーンを代表する"中国人歌手"李香蘭と、"国民的歌手"永田絃次郎という、数奇な音楽人生を送った二人を紹介。後編では永田絃次郎の持つ圧倒的な歌唱力の魅力、彼が歌った軍歌、戦時歌謡と戦隊・ヒーロー系アニソンの共通性などを徹底解説。

中将 タカノリ

執筆者:中将 タカノリ

演歌・歌謡曲ガイド


『征けやロンドン』に見る軍歌・戦時歌謡と戦隊・ヒーロー系アニメソングとの共通性

中でも『征けやロンドン』は個人的に印象深い。“ロンドン”と言っても、もちろんビートルズ世代や80'sみたいなフニャっとした軟弱な歌詞ではない。 「海賊の国」「打てや殺せや」というフレーズに見えるとおり“敵対するイギリスを打ち負かし、首都ロンドンまで攻めこんでやるぞ!”という曲なのだ。曲調も非常にリズミカルでシンプルなマーチ風で、永田の勇ましく声量あふれるボーカルを引き立たせている。

「軍部に強制されている」「狂っている」などと否定するのは簡単だが、僕としては、こういう軍歌や戦時歌謡は70年代~現代に地位を確立している『戦隊・ ヒーロー系アニメソング』に似た需要を満たしていたのではないか、と分析している。つまり、絶対的な悪の対象に"正義の名のもとにおいて"暴力を行使する という歌詞と、圧倒的な声量のボーカルのコンビネーションが、普遍的に人の心をつかむ要素を持っているのだ。とは言っても、そういう歌詞を聴いたからと言ってスカッとしさえすれ、本当に個人的な殺意や暴力を肯定する人が増えるということではない。昨今、“デモ”と称して「外国人を殺せ」と叫んでまわっている連中のことが頭に浮かばないでもなかったが、時代背景の違いもあるし、根本となっている志やセンスに雲泥の差がある。排外的ヘイトスピーチとは区別し、表現の必要悪として公平な目で評価したいジャンルだ。

その後 謎に包まれた北朝鮮での後半生 

戦後の永田は藤原歌劇団などでのオペラ歌手としての活動が主になるが、けっして順調とは言えず生活も豊かではなかったらしい。そしてある頃から朝 鮮総連が主導する北朝鮮帰還事業に広告塔として祭り上げられ、多くの在日朝鮮人の人生に影響を与えた。そして1960年には自らも家族を連れて北朝鮮に渡ってしまう。

初めの2、3年こそ「功勲俳優」と賞賛され北朝鮮のみならず、東ヨーロッパ、中国、キューバなど世界各地で公演し、充実した日々を過ごしていたようだ。しかし、その後、永田の消息はぷっつり途絶えてしまう。脱北者からの証言によると、強制収容所に入れられたとも第一線を退かされもっぱら後 進の指導にあたっていたともいうが、真相の究明は北朝鮮の体制崩壊を待つよりないだろう。ともあれ、北朝鮮の発表によると永田は1985年8月17日、肺結核で亡くなったとされている。

帰還船に乗る直前、サインを求められた永田は日本語とハングルで署名し

「永遠の友好 親善のために 共にかけよう虹の橋」

という言葉を書き込んだという。その胸中は新しい活躍の場への希望にあふれていたのだろう。

あとがき

いかがだっただろうか。李香蘭にしても永田絃次郎にしても"この人がいなくても他の誰かが代わりになった"タイプの歌手ではない。日本と中国、日本と朝鮮半島の間で、余人に代えがたい歴史的な功績を果たした人物だ。

歌手活動は、必ずしもそれぞれの人生に幸福ばかりをもたらしたわけではない。しかし、困難な時代に彼らの願った友好と平和の真意が、これからの世代の若者に少しでもかえりみられ、心に響くなら、それがなによりのはなむけになるだろう。同じ悲しみが繰り返されないよう、僕たちに課せられた宿題は重たい。
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