演歌・歌謡曲/外国人歌謡の歴史

戦前を彩った歌声の架け橋 李香蘭と永田絃次郎 前編(2ページ目)

今回は戦前の歌謡曲シーンを代表する"中国人歌手"李香蘭と、"国民的歌手"永田絃次郎という、数奇な音楽人生を送った二人を紹介。前編では李香蘭の苦難に満ちた栄光の日々と、彼女のもつテクノポップ歌唱、アイドルのはしり、という魅力を徹底解説。

中将 タカノリ

執筆者:中将 タカノリ

演歌・歌謡曲ガイド


ファーストシングル『さらば上海』に見るテクノポップ唱法との共通性 

これまで李香蘭が映画で歌い評判をとってきた劇中歌は、当時のレコード業界にはびこっていた専属作家制度(作家がレコード会社ごとに専属となり、歌手も専属作家の曲しかレコードにできないシステム)がたたってレコードとしてはリリースできずにいた。そのため現代でも人気の高い『蘇州夜曲』『支那の夜』などは当時の彼女が歌ったバージョンでは、レコードとして存在しない。

レコードデビューは人気が出て少したってからの1939年8月。本人が出演した映画の劇中歌ではなく、1932年に関種子が歌った『さらば上海』のカバーだった。胡弓を前面にフィーチャーした物悲しいサウンドと、中国を意識したエキゾチックな曲調。ボーカルは戦前の歌手にありがちな鼻にぬけるような節回しがなく、率直で少女らしいソプラノだ。正統の音楽教育を受けた関にくらべると不安定なヘタウマ感があるものの、それがエキゾチックなサウンドに絶妙にマッチしている。

当時はさほどのヒットにつながらなかったようだが、この曲に始まる、戦前の彼女の楽曲に多く見られる独特の歌唱法は、強いて言えば80年代~現代の女性テクノポップボーカルに通ずるメランコリックな歌唱法のはしりと言えなくもない。

初のヒット曲『紅い睡蓮』 中国風ポップスの女王としての李香蘭

 1940年の夏頃にレコード会社をテイチクからコロムビアに移籍した李香蘭は、得意の映画劇中歌をレコードでリリースできるようになる。さっそくリリースした『紅い睡蓮』は主演映画『熱砂の誓ひ』の劇中歌で、見事に彼女のヒットレコード第一号となった。

歌詞は、恋仲の中国人女性と日本人男性がアジアの明るい未来を祈るという内容で、サウンド、曲調はこれまでの延長にあるエキゾチックな中国風ポップスだ。作曲者が古賀政男なので、服部良一作の『蘇州夜曲』等にくらべると若干ドタツとしていかにも大衆ウケしそうな感じに仕上がってるのがミソか。

この時期、中国風ポップスを歌った歌手は数多い。中国風ポップスは『大陸歌謡』などと呼ばれ、李香蘭以前にもすでに確立されていたジャンルだった。渡辺はま子など、その方面で非常に高い評価を受けている歌手もいる。しかし僕は、中国風ポップスが持つ、そのエキゾチックな魅力を最大限に表現し得たのはやはり李香蘭ではないかと思うのだ。中国っぽさを自然に表現できたバックグラウンドと、日本人にも中国人にもウケるように楽曲を表現できた利発さ、歴史的運命性、そしてなにより不安定な、少女らしい独特の歌唱法。李香蘭こそが中国風ポップスの女王だと言いたい。
 

アイドル文化のはしり? 日劇七周り半事件

1938年からしばしば日本を訪れていた李香蘭だが、人気が絶頂にさしかかった1941年初頭に興味深い現象を巻き起こしている。その名も『日劇七回り半事件』。

コンサート『歌ふ李香蘭』のチケットを買えなかった多数のファンが会場の日劇を取り囲み、銀座の街を騒乱状態におとしいれたのだ。これに対して警察は放水車などを動員するなど、強硬手段をもって鎮圧。マスコミもこの現象を「不健全だ」「堕落している」などと批判的に報道した。

しかしこれは反面、李香蘭の人気の絶大さ、大衆文化の成長に対する体制側の時代錯誤ぶりを如実に示す反応と言えた。"戦前"と聞くと、軍国主義一辺倒で、大衆は面白味のない不自由な生活を強いられていたという固定観念のある方が多いかもしれない。しかし、少なくとも太平洋戦争が始まる1941年までは、1910年代に沸き起こったモダニズムの影響から、個人性、娯楽を尊重する意識は年々高まっており、芸能誌、ブロマイドなど、後のアイドル文化のシンボル的アイテムさえすっかり定着していたのだ。

映画を観て、ラジオやレコードで音楽を聴き、雑誌やブロマイドを身近に置いてコレクションにするファンの姿は現代のそれとなんら変わることがない。戦争の激化さえなければ、もっと早い段階で、おそらく李香蘭を頂点にしたアイドル文化が日本に定着していたのではないだろうか。そう考えると実に惜しいものである。

余談になるが、この事件に関連して「李香蘭は芸名満州人でなく佐賀県人」(『読売新聞』1941年2月15日夕刊)という報道もされていたのだが、報道の不徹底からか、ほとんど認知されることはなかったようである。

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