理不尽な強制力に対し、監視を強める必要がある
行き過ぎたプレッシャーは周りが発見するしかない
というのも、実際に当事者にとって理不尽な上司(教師)や会社(学校)の風土と対峙するのは容易なことではなく、周りが発見してそれを正さない限り、犠牲者の本人がその場で声を荒げて助けを求めることは容易なことではないからです。これはドメスティックバイオレンス(DV)や幼児虐待にあっている被害者が見つかりにくい構造ともよく似ています。
上司の上司に訴えかけたら自分が危ない
会社の論理には要注意
というのも、会社組織では訴えに対して当事者の両者に申し開きの場が与えられるものであり、問題のある上司の話もそのまた上司が聞くことになります。その際に出てくる話は、問題上司だけの責任にとどまらず、その上の上司にまで飛び火するものです。それがゆえに上司という立場にある人は、必ずしも問題の根源にメスを入れないことが多いのです。それは無責任ではないかと思うでしょうが、上司の立場にある人の中にはできるだけ責任を負いたくないと考えている人も少なくありません。
内部努力で解決できないことには外部圧力が有効な場合もある
残念なことですが、訴えをおこした人物は上司グループ全体から睨まれることになり、結局その組織を追われることにもなりかねません。つまり、理不尽な上司や会社の社風と本当に対峙しようと思ったら、自分の直属の上司をはじめ、正式な組織上の上役との話しあいをいくらしても、それが成果に結びつく可能性はかなり低いという現実があります。つまり、理不尽な上司や会社の社風と対峙することは、その組織の中にいながら行うことは困難な場合が多く、結局、いったん自分がその組織の外に出た後で、外部圧力でその組織の問題点を指摘していく手法が取られます。
メディアがそうした役割を一部担うこともありますが、問題のある組織の構造を変えられるのは、皮肉なことに内部努力ではなくて、完全に外部の専門家集団からの圧力であることが多いのが現実です。
ちなみに、外資系企業は厳しい実力主義の世界というイメージが強いですが、それはあくまでも合理的なものの考え方を前提にしたものであって、昨今の日本の体罰問題に表れているような、度を過ぎた目標設定や過度の期待とは一線を画した発想です。それがゆえに、外部の専門家集団を活用して企業のガバナンスに積極的に取り組んでいることが多く、この点でも多くの日本企業や教育機関は、外資の手法から学ぶべきことが多いことでしょう。