日本初、木造建築で甦った東海の名城「掛川城」
今回の行き先は【静岡】
日本初、木造で甦った東海の名城、掛川城
ほとんどの城は、昭和中期から平成にかけて近代建築の技術により再建されたものが多いのですが、静岡県にある掛川城の天守閣は昔の設計図を元にして木造で現代に甦った国内で初めての城なのです。
今回は東海道新幹線の車窓からも眺めることができる掛川城をご紹介します。現代に颯爽と甦った「東海の名城」のある風景に注目ですよ。
戦国時代より存在する歴史ある城
掛川城(Yahoo! 地図情報)は、静岡県の中央、掛川市にある城。掛川は静岡市と浜松市の中間に位置し、遥か昔から交通の要衝として賑わった街で、東海道五十三次では二十六番目の宿場町にもなりました。掛川城が造られたのは、戦国時代まっただ中の15世紀末。西に三河国、東に駿河国を控える掛川の周辺、遠江(とおとうみ)を治めるための拠点として、駿河今川氏の家臣により築城されました。
その後、桶狭間(おけはざま)の戦いで織田信長に敗れた今川義元の子、氏真(うじざね)が籠城して徳川家康と対峙したり、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉の命により、NHK大河ドラマ『功名が辻』でも取り上げられた山内一豊が入城するなど、戦国乱世の歴史に幾度となく登場してきました。
当初、掛川城には天守閣がありませんでしたが、山内一豊が掛川城の改修を行う際に城の位置を変え、天守閣を築造。
その後、関ヶ原の戦いでの戦功を認められた山内一豊は土佐藩へ移り、その後は重要な拠点として徳川家に近い大名が歴代にわたって掛川を治めてきました。
その美しい外観から、掛川城は「東海の名城」とも呼ばれて江戸時代の人々に長く親しまれました。しかし幕末を前にした1854年、安政東海地震によって天守閣などのほとんどの建物が倒壊。再建されないまま、明治維新後の廃城令により城そのものが廃城の憂き目にあいます。
廃城後は公園という形で利用されていましたが、天守閣を復元しようという気運が集まり、1994年に三層の天守閣が再建されました。実に140年の時を経て現代に甦ったことになります。