歌舞伎役者・中村勘三郎丈の魅力とは?

2005年に中村勘九郎さんが、お父さんの故中村勘三郎さんの名を襲名するため、浅草の浅草寺で「お練り」(伝統芸能で役者が関係者とともに一定距離を練り歩くこと)をしました。テレビで見ると「猿若」の法被を着た鳶の方やお囃子を先導に、仲見世を練り歩いて披露しておりました。

寛永元年(1624年)に、京で猿若舞を創始した猿若勘三郎が、江戸京橋あたりで芝居小屋を建てて(櫓を上げるといいます)猿若座としました。

天保年間に火事にあったり、水野忠邦の天保の改革で中村座、市村座とともに浅草聖天町に追いやられましたが、猿若勘三郎の名にちなんで猿若町と改名しました。これと並んで、改築中の歌舞伎座のあたりは木挽町(こびきちょう)と呼ばれ、森田座、山村座、河原崎座があって木挽町三座といっていました。いまだに歌舞伎筋の人には猿若町、木挽町と呼ばれています。

勘九郎さんの小さいときは、こまっしゃくれた子役だと実は思っていたのですが、どうしてどうして大した役者になられました。彼は同年代ということもあって坂東玉三郎さんと親しくて、二人とも歌舞伎の伝統をふまえながらも新しいものにチャレンジしています。玉三郎さんが演出した和太鼓の公演も見事でしたし、勘九郎さん〈当時〉のアメリカでの歌舞伎公演も大変好評で見応えがありました。もっとも私は金も時間もないのでテレビでしか見られませんでしたが。

解体される歌舞伎座のさよなら公演として、去年2011年、歌舞伎十八番の「助六」が上演されました。助六が市川団十郎、花魁の揚巻が坂東玉三郎、髭の意休が市川左団治、曽我十郎が尾上菊五郎、くわんぺら門兵衛が片岡仁左衛門、かつぎの寿吉が坂東三津五郎、そして通人・里暁が中村勘三郎という超超豪華な配役です。

もともと通人は流行りの話題、当て込みやくすぐりを即興で言って、客席を沸かす役ですが、勘三郎さんも菊五郎のお嬢さんの寺島しのぶや、団十郎の息子の海老蔵の結婚のことを即興で言って団十郎に苦笑させたり、助六の股くぐりをコミカルに演じて客席を大いに沸かせました。大体彼は舞台に出てくるだけで各席が沸くのです。


※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。