子連れで電車に乗るのが怖い
子ども連れで電車に乗るのが怖い
息子は乗車直後からぐずり始め、2分後には既に大泣きしていた。おもちゃやお菓子を出すが、全部投げ捨てて抱っこ紐の中で仰け反って泣く。抱っこ紐から外して抱き上げるが、歩けるわけでもないくせに私の腕から出て行こうとする。
既にまあまあ混んでいる車内では、どこの子どもがこんな大音量で泣いているのかと乗客たちが首を伸ばして見回し、乗客の中に当惑と苛立ちが広がり始めた。
どうにも泣き止まない息子に「もうあと少しよ」と何度言っても息子の耳には届かず、また暴れる拍子に、息子は私の太いネックレスを引きちぎった。
大粒のビーズがバラバラと音を立てて乗客の足下に散らばり、一人のビジネスマンが集めたいくつかのビーズを手渡しながら「座って下さい」と席を譲ってくれたものの、私の膝の上でも息子は暴れ続け、左右に座った客に恐縮した私は、また立ち上がる。
いっそ、床に置けばいいのかと思った。混雑している電車の床に置いてハイハイさせれば この子は満足するのか? それも違うと大泣きする。さっきネックレスがちぎれた時のブツッという鈍い音が、まだ耳に残っていた。生後1年でそんな力を出す息子を、普通の子どもなら何の抵抗もなくできることを大声で拒否する息子を、私はそのとき、全く理解できずに怖いとさえ思った。
たった10分の道程が、あんなに長くていたたまれなかったことはない。でも、そのいた たまれなさは、同じいたたまれなさを感じたことのある人にしか伝わらないこともよくわかっている。
あの焦りと困惑と恥ずかしさと怒りと悲しみのパニックは、理屈じゃどうにもならない。「乗り切るしかない」。あるいは「降りるしかない」。今ならそう思う。でも、その10分は急行一駅、それは「乗り切る」以外に方策がなかったのだ(笑)。
>> それはいずれ帳尻の合う、発達の問題だった