物を捨てると「お金持ち体質」になれるのはナゼ?
私は引っ越しを機に、持っているもののほとんどを捨てました。ワンシーズン一度も使わない服は全部捨てよう、と決めると、スーツは半分、衣料品は3割、書類は1割、書籍は2割だけが残りました。家電はオークションで売却し、雑貨類はほぼ全部捨てました。
年中ほぼノーネクタイなので、ネクタイは5本もあればいい。スーツを着る頻度を減らしたので、冬服4着、夏服4着で十分。本は必要と感じたらまた買いなおせばいいと考え、仕事に必要な実務書や、繰り返し読みたい自分の中の名著だけを残し、ただのビジネス書はブックオフ行きです。
雑誌はそもそも鮮度が命なので、あとで読み返すとほとんどどうでもいい情報ばかりです。そこで、必要な箇所だけを破ってスキャンし捨てる。書類のたぐいも、ほとんどスキャンして捨てました。そのおかげで、広さはほぼ変わらない間取りですが、より広く使えるようになりました。そして何も困ったことは起きていません。
断捨離はモノを買う歯止めになる
私はなんだかんだ言っても、後生大事にモノを溜め込みすぎており、モノの保管のために家賃を払っていたということです。あるいはモノのために部屋が狭いと感じていただけなのでしょう。押入れから、昔買った情報商材(こうすれば儲かるというノウハウ商品)が未開封で出てきたとき、自分のマヌケさを痛感しました。収納が少ない間取りは不便と言われます。確かにその通りなのですが、広ければよいというものでもないようです。たとえば「置くところがないから買わない」という判断があれば、必要以上にモノを買う歯止めになる場合もあるからです。もちろん、本当に必要なものが置けないというのは困りますが、「家が狭くなっても必要なモノか?」と熟考することになるので、1度や2度使っただけで押入れ行きというものが減るという利点があります。
物を捨てるという決断はビジネスにも通ずる
さらに、「捨てる」というのは必要なものと不要なものを峻別する行為ですから、ひとつの「決断」です。以前、テレビの情報番組で、お金持ちの家の中にモノはあまりないですが、貧乏人の家の中はガラクタで散らかっている光景を目にしました。「そりゃ、収納がたっぷりある家に住んでいるからだろ!」というツッコミも聞こえてきそうですが、捨てる決断力の有無が左右しているのではないか、と想像しました。「捨てられない」とは「決断力がない」ことを意味するとしたら、これはもしかすると仕事の能力においても影響するのではないでしょうか。
たとえば、長期的な信頼関係を築くため、目の前の売上は捨てる決断をする。創業から続く伝統ある事業であっても、赤字なら撤退の決断をする。多額の費用を投下してきた思い入れのある研究も、商品化が見込めなければ捨てる決断をする。そういえば私も、米国公認会計士の資格取得に100万円近くもかけましたが、自分は資格では食べていけないと、この分野で働くことを捨てました。それで今の自分があるわけですから、結果的には悪くなかったのだと思っています。
捨てるというのは、モノや情報だけでなく、自分の新しい側面を発見できるよい機会なのかもしれません。
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