第一次入居開始から
17年後に南大沢駅が登場
南大沢駅。駅ビルフレンテ南大沢、隣接する新館には飲食店その他が入っている
多摩ニュータウンは東京都の稲城市、多摩市、八王子市、町田市にまたがる多摩丘陵に作られた日本最大規模のニュータウンです。一番最初に入居が始まったのは1971年(昭和46年)ですが、南大沢の駅が完成したのは1988年(昭和63年)と、その17年後。多摩ニュータウンの中では比較的新しい駅のひとつというわけです。ちなみに相模原線はその後、1990年(平成2年)に橋本(相模原市)まで延伸、その後、1991年(平成3年)に橋本~南大沢間に多摩境駅ができています。
多摩丘陵は古い、強固な地盤で、防災面からは安全な場所
さて、多摩ニュータウンは広大な丘陵地を利用して計画的に作られてきた街ですが、それでも作られた年代によって街の様子は異なります。初期に開発された街では当時のスタンダードに合わせた狭い住宅が中心ですし、現在のような車が生活の足になることも想定されておらず、働く女性の増加なども織り込まれていなかったようです。しかし、開発年代が後になるほど、現代の生活に合わせた住宅、街づくりがなされるようになってきており、新しく開発された街ほど住みやすい可能性が高いといえます。その意味では南大沢は多摩ニュータウン内では比較的新しく、最も古い住宅でも1981年(昭和56年)。1990年代に建てられた物件が多いのが特徴です。
飛躍的な発展を遂げたのは
1990年代後半。急行停車も影響大
首都大学東京は都立の大学4校が統合されてできた総合大学。広大なキャンパスを持つ
簡単に開発の歴史をご紹介しておきましょう。駅ができたのは前述した1988年(昭和63年)ですが、当時の駅前にはバス停があるだけで、ほとんど何もない状態。すでに完成していた住宅の入居者はバスを利用して他駅まで出ていたそうです。その後、東京都立大学(現首都大学東京)が1991年(平成3年)に移転、翌年にはガレリアユギ、パオレといった商業施設が完成しますが、以降数年は施設はできたものの利用者がない状態が続き、当初入居していた百貨店の移転や駅近くの土地に毎年違うものが建てられては取り壊されるような日々だったと聞きました。
南欧風の外観が印象的な三井アウトレットモール多摩南大沢。子ども連れの姿も多かった
しかし、1990年代後半から人口増に伴い、駅周辺の商業施設の集客も安定してきます。そして2000年(平成12年)には駅の北側に大型商業施設三井アウトレットパーク多摩南大沢が登場、2001年(平成13年)に京王相模原線の特急が廃止、急行が導入にされたのに伴い、南大沢が急行停車駅になったことから利便性がアップ、急激に店舗数が増え始め、現在のような賑やかな街に発展していきます。ちなみに新宿までは急行利用で1時間弱です。
大学、アウトレット、スーパーや映画館、
公共施設まですべてが駅前に揃う街
駅北側、アウトレットモールを挟んで正面に見えるのが首都大学東京
実際の南大沢駅周辺を見てみましょう。駅を降りると南北をつなぐ広い通路が作られており、北側の正面には首都大学東京が見えます。北側の通路両側には商業施設、アウトレットパークが広がります。ゆったりした広さはニュータウンならでは。特に南大沢の場合、駅周辺はほとんど更地状態からの開発だったため、歩車分離など安全性、快適性に徹底的に配慮した街づくりができたのでしょう。
駅周辺、幹線道路沿いには大型店が集まり、買い物には事欠かない。雑居ビルが少ないのも特徴
南側にはバスロータリーを囲んでやはり商業施設が並び、中にはシネコンも。飲食店などもあり、大学があるからでしょう、若い年代が目に付きます。
写真左に建つのがフレスコ南大沢。写真右はもう駅ロータリーなので、ほとんど駅前と行っても良い距離だ
また、南側の駅ロータリーと道を挟んで少し離れたところには八王子市の南大沢図書館、生涯学習センター南大沢分館、南大沢文化会館、南大沢保健福祉センターと法務局やオフィスの入ったフレスコ南大沢があり、公共施設も集中しています。駅前でなんでも揃う街というわけです。
宅地内は歩行者のみ。広々と作られ、並木がきれい。ところどころにはベンチ、案内板も
駅から離れると、あとは緑の多い、静かな住宅街。住宅と車路は高低を付けて分離されているので、安全です。また、車線数が多く、商業施設の多くは大型駐車場を設けているため、車での買い物、移動にも便利な街です。ただし、週末にはアウトレットモール渋滞が起きることもあるそうですから、痛し痒しといったところです。ちなみに、首都大学東京キャンパス内には猪注意という掲示がありましたから、これだけ開発されたようでも、周辺には自然が多く残されていることが分かります。
続いて、気になる
京王相模原線南大沢の住宅事情を見て行きましょう。