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年金損得論者は主張するほどに損得・不公平を拡大する(2ページ目)

年金損得論がかまびすしい。世代間不公平論も根強く、多くの人がそう信じています。しかし、彼らの主張の通り制度が改善されることはなく、主張するほどに改善は遠ざかります。その仕組みについて少し考えてみます。

山崎 俊輔

執筆者:山崎 俊輔

企業年金・401kガイド

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事前積立制度にしても損得論者の希望通りにはならない?

ところで、年金損得論者のよく述べるところは「個人ごとに残高管理して、個人の保険料は個人に帰属させればいい」、つまり事前積立制度への移行を述べますが、実はこれで安心が得られるかどうかは疑問です。

確かにひとりひとりの財産の保全は図られるかもしれません。早くに亡くなられた人にはそこまで積み立ててきたお金を払えばいいのでより公平な感じがします。
しかしいくつか不可能なこともあります。ポイントをあげれば

「長生きした人のための財源確保」ができない……ひとりひとりの保険料をひとりひとりの給付に紐づけすれば、長生きしたときは、もう支払うお金がないから打ち切らなくてはならない。むしろ制度の不安要素になる。事前積立制度ではこれは解決できない。

「障害年金や遺族年金の財源確保」ができない……若くして障害が残った人が障害年金を受けたり、若くして亡くなった人の子に対する遺族年金を支払う財源が事前積立制度では確保できない。本人が支払った保険料を払っておしまいになる。

「インフレした場合に目減りするリスク」が保障できない……ひとりひとりの保険料をひとりひとりの財源として積立管理するのであれば、インフレ時にはインフレ相当分の運用をしなければならない。運用が低調であった場合にはその実績だけ配当すればいいのか、などが気になります。

損得論を実現しようとすると、国の年金が提供する「長生きリスクへの保障」「障害時、早世時の子の保障」の部分はすっぱり切り捨てられるということになります。これはむしろ社会的に不公平な制度ではないでしょうか。
(ここで「そういう支え合い機能は税金で」というのは逃げです。おそらくその役割だけで十兆円以上の財源がいるでしょう。彼らの平生の主張どおり財源を示さなければなりません)

そして、ここまで個人管理をするのであれば、これはもはや国が責任をもつ社会保障制度ではなく、ただの強制貯蓄口座です。
そこまで個人管理したいのであれば、個人に完全に帰属する私有財産に制度上の優遇だけ与えて自己責任でやればいいということになります。例えば個人型401kに入る人は、国の制度を使って、自分のお金を管理・運用して増やします。それでいいわけです。

一部の過激な論者は、公的年金制度は廃止して、個人ごとに運用口座を作らせればいいといいますが、これはこれで「賢い判断をせず利用しない人の老後は悲惨になる」「運用がうまくいかない人、欲張ってリスクを取り過ぎて失敗した人の老後は悲惨になる」「長生き・障害・早世時のリスクはまったく解消されない」ことになります。

自力で準備をせずに老後になって困窮すれば、生活保護を受けられるのはそれこそ不公平ですし、だからといってこうした人を切り捨てていては国の責任として問題ありです。
損得論、不公平論は主張するのは割と簡単なのですが、その行き着く先に本当に損得がなく公平な制度は作れるかは、実はかなり難しい話なのです。

損得論者がむしろ制度の破綻リスクを高めている

また、損得論者はいろいろ現行の制度や改革案を批判しますが、こうした批判のことごとくは、実は制度を安定的にするどころか、制度の破綻リスクを高めています

何度か述べていますが、年金受給開始年齢を67歳あるいは70歳に引き上げる議論は、反対するほど年金財政を苦しくします。将来平均余命が3年伸びそうなので、年金の受取開始年齢を3年引き上げることは不公平でしょうか? 実は年金部会の資料では、受給開始年齢を引き上げれば、年金給付水準を今ほど引き下げなくてもすむ可能性が示唆されていたのですが、反対の声で試算前に議論は立ち消えになりました。

また、高所得者である高齢者について年金減額をする案が出たとき、かなり厳しい制約が課せられました。現在の改正案でも年収850万円以上の収入がある場合にのみ、減額対象となり、1300万円を超えている高齢者については、国の国庫負担による国民年金の2分の1相当分だけ減額するというものになりそうです。

これも「損得論」の悪い反映です。おかげで対象となる年金生活者は1%にもなりません。しかもカットできる範囲を国民年金の最大でも半分としたことで、さらに財政に寄与する割合はほとんどなくなります。厚生年金も含めて200~300万円もらう人もいるのに、最大で40万円弱をカットすることしかできないからです。
本来、老後にもらう公的年金制度は「老後に自ら収入を得て生計を立てられない人のための給付」であるわけですから、実際に働いて十分以上の(少なくとも会社員の平均以上の)収入がある人であれば、「国庫負担か保険料負担か」の範囲は気にせず年金額は全額カットしてもいいはずです。しかし損得論のおかげで「70歳で年収1000万円、公的年金は全額カットされても気にしないよ」というような人が年金を全額受け取ることになります。本来の年金制度の役割がズレてしまっています。考えてみるとおかしな話です。

損得論や不公平論を主張し国の年金が破綻すると述べる論者は、自分で制度の破綻の種をまき、「だからこそ制度は破綻する」と述べているところがあります。国の年金制度改正に反対することで実は国の年金制度を不安定に追い込み、さらにそれをもって国の年金制度を批判します。なかなかうまい論法です。(論者によってはそうした問題を認識していないことがあるので、注意したい)

ちゃぶ台を返して、その後のことは考えていない?

確かに今の年金制度はパーフェクトではありません(役人も年金学者もその点では同じです)。しかし、多くの年金破綻論者、不公平論者、損得論者の述べる主張は、残念ながら「それならやらないほうがまだマシ」というものばかりです。(議論を最初から否定してはいけませんが、改悪される議論では仕方がありません)

彼らの主張は「巨人の星」の星一徹がちゃぶ台をひっくり返すことに似ています。怒りにまかせてすべてをご破算にすることは一見気持ちがいいように思えます。英雄的でもあります。しかし、こぼれたご飯、味噌汁を誰かが片付け、畳を拭き、ぞうきんも洗う手間がかかりますし、また新しいご飯を準備するお金もかかります。「巨人の星」ではお姉さん(星明子)がその役割を堪え忍びながら担っていたわけですが、国の年金制度では誰がその役割を担うのでしょうか。財源の問題もありますから、役人だけではなく、国民全体にひっくり返したちゃぶ台の処理負担がのしかかってきます。

論者のほとんどは星一徹にはなっても、掃除をしご飯を作り直すお姉さん(星明子)の涙のことは考えていないのです

□   □

私も公的年金が「100年安心」というほどお人好しではありません。今より給付水準を抑えることは必要でしょうが、それは破綻ではなく破綻防止でしょう。年金損得論者、不公平論者は主張するほど、論としては自らの首を絞めている感があります。できれば、そういう論にミスリードされて、「そうだ、けしからん」という雰囲気だけ楽しむようなことは辞めて欲しいものです。
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