まばたきするのを忘れるぐらい

プレイヤーの図

あまりの美しさに、画面に見とれてしまいます。

ガイドは、このゲームを奥さんに勧められて遊びました。正確には、勧められたというよりは、奥さんがゲーム画面を見たいからプレイして欲しいと言われました。ガイドも内容について詳しくは知らないまま、ちょっと変わったゲームだな、というぐらいの気持ちで始めていました。

とんでもないことでした。待っていたのはこれまでゲームで体験したこともない美しい世界を行く旅でした。広大な砂漠を、風に乗って飛んでいく気持ちよさ。砂漠の砂は時に黄金色の河となって大きなうねりをみせ、夕日に照らされて神々しく光輝けばまばたきをするのも忘れる程に美しい光景が広がります。

その美しさは、絵画の鑑賞をしたり、緻密なCGを観た時の美しさというより、旅行先で絶景に出会った、そういう美しさだとガイドは感じました。綺麗な画面というよりも、まばゆい世界に出会える、ゲームというメディアでこそ表現できる美しさです。

もう1人いる

風ノ旅ビトの図

赤い布に触れることで、風にのって飛ぶことができます。

ガイドが遊んでいると、自分とそっくりなキャラクターが突如現れました。現れたというより、いたんです。いつの間にか。このゲームは言葉にならない信号のようなものを出すことはできますがしゃべることはできません。でも、なんとなく行くべき道を教えてくれたり、重要なものがある場所で待っててくれたり、お互い意味のある言葉を発することはできませんが、なんとなく心が通じた気がして、なんとなく愛着がわき、大切な仲間だと思うようになります。

後から知ったことですが、このキャラクターはコンピューターではなく、オンライン上でたまたま同じエリアを探索していた別のプレイヤーでした。オンラインに接続しているという説明は一切ありません。オンラインプレイ中だとか、オフラインだとか、初めて遊ぶプレイヤーにはその意識すらないでしょう。ガイドも、あまりに人間らしさのある動きをするので、そうかもしれないとは思っていましたが、確信が持てずにいました。

でも、実はそんなことはどうでも良かったのです。なにしろ、相手が人間かどうかも分からないまま、お互いほとんどコミュニケーションの手段もないまま、それでもなんとなく心が通じている気がして、仲間だと思えて、旅が楽しくなったのですから。むしろ、分からないからこそ、色んなことができないからこそ、考え、想像し、豊かな体験に繋がったようにも感じます。

ある意味で、風ノ旅ビトはゲームという枠から逸脱した表現にすら近づいているように感じます。